023 最初の奇跡(カナでの婚礼、ヨハネによる福音書2:1~11)
→この奇跡は、ヨハネによる福音書のみに出て来る(この体験をしたのは、ヨハネだけで、この時、マタイはまだ弟子ではなく、ここにはいなかった)。

イエスの母 01~05節

01三日目(→審問の日から1週間後、7日目)に、ガリラヤのカナで婚礼(→1週間続く)があって、イエスの母がそこにいた。
→イエスの母、マリアはカナの南約16㎞にあるナザレに暮らしていた。ヨハネの福音書では、「マリア」の名前は出てこない(ヨハネ19:25~27)。

02イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた
→イエス(ラビ)と弟子(タルミディム)の一体の関係

03ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました(困ったわネ、どうしましょう)」と言った。
→招待する新郎新婦にとって、大きく面目を失うことになる。

04イエスは母に言われた。
婦人よ(=グネイ、グナイ:ギリシア語)、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの【時】はまだ来ていません。」
→わたしの時はまだ来ていません:イエスは、自らの死と復活、すなわち神の子としてのまことの栄光があらわれる時(=父なる神の御心を全うする時)について述べている。

05しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。

イエス 06~10節

06(さて、)そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス(≒39ℓ)入りのものである。
→石の水がめ:土器と違い、清めることができる(→清めの洗い)。宗教熱心なユダヤ人たちは、食前と食後に手を洗った。石の水がめは、食事中に卓上で指先を洗うための「フィンガーボウル」である。
→その死骸が土器の中に落ちた場合(→それらの一つが土器に落ちると)、その中のものはすべて汚れる。その土器は壊す(レビ記11:33)。

07イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。

08イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。
→石の水がめの水(=フィンガーボウル)を飲むことは、ユダヤ人には考えられないことである。

09世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、

10言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
→最高級のぶどう酒は祝宴の早い時期に出された。人々がぶどう酒の質と味をよく認識できるからである。ぶどう酒を飲むにつれて、酔いが回り、感覚が鈍り上等のぶどう酒の味が分からなくなるからである。

弟子たち 11節

11イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光(→神の力の啓示)を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた(→イエスの死と復活までを理解したのではない)。
→最初のしるし:メシア性を示す、セメイオン、セイメイオン(ギリシア語)が奇跡の意味で使われている。

新約聖書における「時」
下記の聖句は、聖書研究ソフト「聖書Navi Active」により検索、抽出しています。

マタイによる福音書9:15 イエスは言われた。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる。
マルコによる福音書2:20 しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる。
マルコによる福音書4:29 実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
マルコによる福音書14:41 イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。
ルカによる福音書1:20 あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」
ルカによる福音書4:13 悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。
ルカによる福音書5:35 しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる。」
ルカによる福音書13:35 見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。」
ルカによる福音書17:22 それから、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう。
ヨハネによる福音書2:4 イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
ヨハネによる福音書4:21 イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
ヨハネによる福音書4:23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。
ヨハネによる福音書5:25 はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。
ヨハネによる福音書5:28 驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、
ヨハネによる福音書7:6 そこで、イエスは言われた。「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。
ヨハネによる福音書7:8 あなたがたは祭りに上って行くがよい。わたしはこの祭りには上って行かない。まだ、わたしの時が来ていないからである。」
ヨハネによる福音書7:30 人々はイエスを捕らえようとしたが、手をかける者はいなかった。イエスの時はまだ来ていなかったからである。
ヨハネによる福音書8:20 イエスは神殿の境内で教えておられたとき、宝物殿の近くでこれらのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。
ヨハネによる福音書12:23 イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。
ヨハネによる福音書13:1 さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。
ヨハネによる福音書16:4 しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。」
ヨハネによる福音書16:25 「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。
ヨハネによる福音書16:32 だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。
ヨハネによる福音書17:1 イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。
使徒言行録13:11 今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」するとたちまち、魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。
ガラテヤの信徒への手紙6:9 たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。
テサロニケの信徒への手紙Ⅱ2:8 その時が来ると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御自分の口から吐く息で殺し、来られるときの御姿の輝かしい光で滅ぼしてしまわれます。
テモテへの手紙Ⅱ4:3 だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、
ヘブライ人への手紙8:8 事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。「『見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、/新しい契約を結ぶ時が来る』と、/主は言われる。
ヨハネの手紙Ⅰ2:18 子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります。
ヨハネの黙示録11:18 異邦人たちは怒り狂い、/あなたも怒りを現された。死者の裁かれる時が来ました。あなたの僕、預言者、聖なる者、/御名を畏れる者には、/小さな者にも大きな者にも/報いをお与えになり、/地を滅ぼす者どもを/滅ぼされる時が来ました。」
ヨハネの黙示録14:7 大声で言った。「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい。」
ヨハネの黙示録14:15 すると、別の天使が神殿から出て来て、雲の上に座っておられる方に向かって大声で叫んだ。「鎌を入れて、刈り取ってください。刈り入れの時が来ました。地上の穀物は実っています。」