セブンスデー・アドベンチスト教会のあゆみ

2021年プロジェクト(Angeの園のフェンス/教会花壇、風のガーデン設置)

2021.06.30撮影(プロジェクトの一部、花壇は、緊急車止めを兼ねています)
工事記録

※教会隣接道路に駐禁・安全ポール設置(三田市)(2021.07.09)
※教会隣接マルチルーム(ユニットハウス)の設置(2021.07.15)

芝張り(ベタ張り方式)をしました。(2020.04.02~03)
ベタ張り:切り芝数(約900枚)、長所:雑草が生えにくい。
写真は、芝をすべて張り、目土を入れたところ。目土を芝の上に覆いかぶせ、足で踏み固め、なじませる。これで目土が芝の間に十分に入り、生育を促進する。その後、目土が流れないように、優しく水やりをする。

新型コロナウィルス関連(2020.04.01 記録)

新型コロナウイルス感染問題の対応について(抜粋)
西日本教区の牧師、長老、連絡責任者各位

 主の麗しい御名を賛美致します!
皆様におかれましては、主にあって守られ、お元気にお過ごしのことと信じてお慶び申し上げます。さて、昨今のコロナウイルス問題は、広く教会にもその影響が及んでいます。現在、半数近くの教会(集会所、聖書研究会を含む)が安息日の集りを休止している状態です。

 最近になって、感染拡大が続く東京、大阪などの都市部では危機感がますます高まって来ました。いわゆる爆発的な感染拡大が起きるオーバーシュート現象を危惧して、自宅勤務や週末を中心に不要不急の外出の自粛などが行政によって訴えられています。

 今までは、教区からは注意喚起や集会の中止と再会のガイドラインなどの発信にとどめて、具体的な判断は各教会で行うように委ねて来ました。しかし、現場の声を集約すると、それも限界に来ているように感じました。地域によって状況は違います。また、教会の主体性も尊重しなければならないでしょう。しかし、ここは教区長が全体に対して一定の方向性を示すべき時との判断を致しました。

そこで、爆発的な感染拡大を危惧する現在の状況を鑑みて、西日本教区内の全教会(集会所、聖書研究会を含む)に対して下記のような対応をお願いしたいと思います。

1.原則として、4月の一ヶ月間は、安息日の集会を含めて全ての集会を休止とする。
※ただし、4日については対応が間に合わないことも考えられますので、できるだけ休止してほし
いですが、無理な場合は集会を行って下さい。
※教育機関と並立している広島三育学院教会、広島教会、鹿児島教会は、学校との連携があると思いますので各自でご判断下さい。
※大阪センター教会は礼拝のライブ配信を継続する予定です。集会休止のお願いは、礼拝のライブ配信の規制は含まれていません。
2.5月からの再開については、4月末の状況を見て判断する。 

以上です。皆様のご理解とご協力をお願い致します。なお、休止期間中の教会員の霊的ケアについては、牧師先生方と話し合って最善を尽くしたいと思います。

私たちは、神様が守って下さるというみ言葉による約束を信じています。しかし、その一方で、み言葉は社会的責任についても教えていることを忘れてはなりません。一般社会の権威に対して私たちが取るべき態度について使徒ペテロは、「あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい」(ペテロ第一2:13)と教えています。私たちは神様の律法に反しない限り、政府や行政の権威を尊重しなければなりません。この困難な状況の中で、首相や知事たちが訴えている事に協力する必要があると思います。韓国では二度も教会が感染拡大の場所となる問題が起りました。社会の目は厳しくなって来ていると思います。・・・略・・・集会を守り続けることによって地域の方々の間に反感が広がったとしたら、その印象を取り除いて信頼を取り戻すのは容易ではないでしょう。中国のクリスチャンたちは、防護服を着て地域を周り、マスクとトラクトを配布して喜ばれたと聞きました。私たちも知恵を祈り求めて、この機会を賢く用いていきたいと思います。

最後に、皆様に訴えたいことは「祈る」ことです。777の祈りに参加して下さっていると思いますが、その時に下記の祈りを加えて頂きたいと思います。
・コロナウイルスに感染している方々が癒されるように。
・政府や自治体の責任者の方々に賢明な知恵と判断が与えられるように。
・治療や予防の働きに携わっている医療関係者の方々が守られ、支えられるように。
・感染拡大が終息するように。
・教会が目覚めて真のリバイバルが起るように。
・この困難な時が宣教の妨げではなく前進となるように。

 教区新報にも書きましたが、この四年間、毎年のように何かが起っています。全てはイエス様が終末の前兆として預言したことと一致します。今後もそれは続いて行くことでしょう。イエス様は、「これらの事が起りはじめたら、身を起こし頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」(ルカ21:28)と言われました。目を覚まして、今こそ頭をもたげて天を見上げる時なのではないでしょうか。
皆々様の上に神様のお守りと祝福が豊かにありますようにお祈り致します!

2020年4月1日 西日本教区長 稲田 勤

この連休中に、教会横にある庭(約50坪)を全面的に改修しました。

期間:2019年(令和元)4月26日、4月28日~5月2日、5月5日の7日間
すべての土を掘り起こす。低木等を植える外回りエリアは約50~60㎝程、芝生を植えるエリアは15~20㎝程を掘削し、土をほぐす。
空が澄み渡る5月の快晴の下、皆(参加者15名)が心をひとつにし、各作業を行う。

※Ange:天使(フランス語)

▶主よ、和をわたしたちにお授けください。わたしたちのすべての業を/し遂げてくださるのはあなたです。(イザヤ書26章12節)
▶わたしは青銅の代わりに金を/鉄の代わりに銀をもたらし/木の代わりに青銅を/石の代わりに鉄をもたらす。わたしがあなたに与える命は平/あなたを支配するものは恵みの業。(イザヤ書60章17節) 
🌻2019年度 県民まちなみ緑化事業(一般緑化、芝生化)決定
→神北(宝土)第1058号(2019/平成31年4月12日)一般緑化
→神北(宝土)第1059号(2019/平成31年4月12日)芝生化
三田キリスト教会、防災士がいる教会として、申請、登録(三田市)
2018年11月

三田キリスト教会(聖書研究会)ウェブサイト開設(稼働)
2018年05月

教会のあゆみ

以下、当教会の記録の一部です。ウェブ公開に当たり、記録の重要性から、原文をそのまま記載(個人情報に係る氏名等は省略)しています。

沿革
1994年07月 三田市内の個人宅にて、神戸有野台キリスト教会の教会員の応援を頂き、
◆◆◆◆◆◆教会員数15名にて、三田聖書研究会をスタート
1996年11月 駐車場の関係で三田市立広野市民センターに集会場を移転
1998年04月 会場使用制限のため、三田市立青野ダム記念館に集会場を移転
2004年04月 教会用として、現在の土地および建物を取得
2004年04月 →建物登記簿謄本上の新築年:1989(H元)年
2004年05月 献堂式(5月29日土曜日) 教会員数27名
2017年11月 十字架設置
2017年12月 建物(屋根・外壁等)を全面リフォーム

2004年5月29日

三田聖書研究会のあゆみ

三田聖書研究会 責任者 辻隆一郎

94年7月に母なる有野台教会から三田へ挿し木されて10年、ヨチヨチ歩きだった私達もいつの間にか小学校4年生になりました。

11年前、有野台教会の教課研究グループにデイスカッションクラスがもたれていました。その頃は盛んに小グループ活動の研究が教会内で叫ばれていた頃です。小グループの良い点を活かして、大阪のベッドタウンであり人口増加率日本一の三田に、主が許して下されば教会を建てさせて頂きたいという夢を信徒伝道会と安息日学校の小グループで語り合いました。94年の第1期教課研究は「ヨシュア記」であったと記憶しています。「モーセに告げたとおり、私はあなたたちの足の裏が踏む所をすべてあなたたちに与える。荒れ野からレバノン山を越え、あの大河ユーフラテスまで、ヘト人の全地を含み、太陽の沈む大海に至るまでが、あなたたちの領土となる」(ヨシュア1:3、4)。この”み言葉”は過去のものではなく、現代に住む私達一人一人への主の投げかけでもあります。信仰を持って未知の土地へ行き、主の砦を築きなさいという召しが、有野台教会に与えられたと信じています。「神様、三田に拠点を与えてください。20人くらいの人々が集まれて、駐車場も十分にある家の教会を与えてください。」と祈って与えられたのが現在の辻宅です。引っ越したのが94年の3月、そして有野台教会牧師の指導のもと、同年7月に念願の三田聖書研究会が15名程でスタートしました。三田聖書研究会の理念は小グループの実践でした。小グループ実践の主な推進力として祈祷会を通して霊性を向上させていくこと、連絡網を利用してメンバーの横のつながりを育てていくこと、教会では一人一人が何らかの責任を担うということでした。そうした努力がすこしずつ実を結び、今日まで8名のバプテスマが与えられました。拠点はその後、広野市民センター、青野ダム記念館、そして現在の下深田に教会堂を設立して移り、メンバーも15名から今では多い時で27名(子供含む)までに成長してきました。礼拝には、有野台教会から次々に説教者が来て下さっておりますことは大きな励ましです。グローバルミッションの予算を使わしていただき、レストランでの珍しい有料の伝道講演会やクリスマスコンサートを持つことが出来、貴重な体験を積むことが出来ました。春は花見、秋は修養会も持たせて頂きました。小さな歩みをいつも温かく見守って下っている牧師先生はじめ有野台教会の皆様に心から感謝申し上げます。

1.三田聖書研究会の沿革

1994年07月 三田市学園 有野台教会員の応援を頂き教会員数15名にて、拙宅を家の教会としてスタート。

1996年11月 駐車場の関係で三田市立広野コミュニテイセンターに集会場を移転。

1998年04月 会場使用制限のため三田市立青野ダム記念館に集会場を移転。

2004年04月 三田市下深田750番19号に土地(144.28坪)と建物(126.76㎡)を取得。

2004年05月29日(土)に献堂式をして現在に至る。教会員数(子供含む)27名。

2.教会員数の推移

この9年間、転会などによる教会員数の減少があると新しい教会員が与えられ不思議といつも教会出席者が20名ほど与えられてきた。

3.過去8年間の受浸者 8名(氏名省略)

4.今に至るまでの活動状況

洗足聖餐式のときに母教会と合流するほかは、原則、三田にて集会を持っている。
礼拝説教者は殆ど母教会より来て頂き交流の良い機会としている。教会建築募金ではいつも母教会の有野台教会に多額の寄付をして頂いている。密接な交流の一環として、有野台教会理事会と長老会にはいつも三田聖書研究会の責任者が出席し、三田の報告をしている。この方式は将来、独立しても続けていきたい。

安息日学校:大人のクラス、初心者クラス、子供のクラス

礼拝:通常はゲストスピーカーによる礼拝説教、3ヶ月に1回証会、3ヶ月に1回聖書と証の文通読、不定期に子供中心礼拝と音楽礼拝
午後のプログラム:毎週パトラック、子供の教材作り、カウンセリング勉強会、聖所の研究、健康体操、健康講話、全体会議

祈祷会:辻宅と西垣宅にて

諸活動:料理教室、レストランにて菜食食事付講演会、クリスマス会、花見、野外礼拝、1泊2日キャンプミーテイング、フィリピンへ援助物資仕送り等々。

以上

最初の記念撮影 2004年4月3日「三田キリスト教会初めてのお礼拝」
アルバムには、「三田教会がこの地に与えられた」というメモが貼ってありました。

安息日学校の様子

教会が出来た2004年の主な出来事
・新潟県中越地震
・アテネ五輪で日本選手大活躍、メダル最多の37個
・日本で新紙幣発行(1万円札が福澤諭吉、5千円札が樋口一葉、千円札が野口英世)
・シアトル・マリナーズのイチローがシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新
・ヨン様フィーバー
・マツケンサンバがヒット
・セレブファッション流行
・ヒット商品 :iPad mini、ニンテンドーDS(任天堂)、伊右衛門(サントリー)
◆◆◆◆◆◆◆◆プレイステーション・ポータブル(ソニー)、アジエンス(花王)
・ベストセラー:バカの壁(養老孟司)、
◆◆◆◆◆◆◆◆川島隆太教授の脳を鍛える大人の音読ドリル(川島隆太)
・ヒット曲  :瞳をとじて(平井堅)
・流行語   :チョー気持ちいい(アテネ五輪100m平泳ぎで金メダルの北島康介)
◆◆◆◆◆◆◆◆気合だー!(アニマル浜口が娘京子選手をアテネへ送り出すとき連発)

メタセコイア並木(滋賀県高島市マキノ町蛭口~牧野)

この10年を振り返って

三田聖書研究会 谷畑洋子

1995年7月に神戸有野台教会から15名の方々が、三田で聖書研究会を辻宅で始められました。初夏のころ、安息日にいつも車を駐車させて頂いていた広場が急に使用できなくなり、私達三田の小さな群れは集える場所を求めてみんなで祈りしました。辻(当時の責任者で、教会ではこのような立場にある人を”長老”と呼んでいる)宅での安息日も来週で終わりというとき、一人の姉妹が歩いて三田市役所や広野駅の方まで探し求めた結果、新しくオープンしたばかりの広野市民センターが与えられました。「求めよ、そうすれば与えられるであろう、探せ、そうすれば見出せるだろう」マタイ7:7。 このように御言葉を信じたときに神様は最も必要な時によい場所を与えてくださいました。駐車場も広く、暖かい感じの会議室、昼食はまるで料亭のような静かな広い和室が使用できました。安息日の午後は聖書研究や預言の声、又健康体操など、楽しくて安息日が待ち遠しく思い、いつも感謝で一杯でした。1年も経つと広野市民センターも有名になり利用される数が段々と増えてきて私達は使用できなくなりました。その頃、三田に教会をとの願いが盛り上がり積み立てを開始することにしました。三田は少人数ですので有野台教会の皆さんも支えて下さり着実に積み立てられていきました。新しい土地を求めて熱心に祈りました。

もう桜も散り始めたころ、青野ダム記念館が私たちの新しい集いの場として備えられました。2階の会議室や和室からの眺めは、まるで天の国かエデンの園を思わせる四季折々の美しい場所でした。お礼拝に来てくださる有野台の方々や他教会からのお客様も、こんなに美しい礼拝の環境は見たことがないですねとよく言って下さいました。私達は感謝でした。この場所が私たちの教会だったら良いのにねと皆言っていました。広野市民センターや青野ダム会館は年に3,4回は市の行事があるため会場が使用できなくなり他の会場を探し求めました。移動の時は教会で必要な大きな荷物を車に積んでいきます。これが一番の苦労でした。

洗足聖餐(せんそくせいさん)式、バプテスマ式、信徒礼拝の時はいつも有野台教会でお世話になり、教会の方々もいつも暖かく迎え入れて下さって、感謝の気持ちで一杯でした。三田の教会建設積立金も有野台の方々のお力を頂いて2000万円近くになりました。三田の教会を建てるのに一筋の光を見出した思いがしました。土地、建物を求めて安息日ごとに皆熱心にお祈りをしました。

師走の最後の安息日、私達は悪い知らせを聞かなくてはなりませんでした。年明け早々青野ダム会館を閉鎖するとの事、私達は身も心も凍る思いでした。お正月の礼拝は有野台へ皆で行きました。すると有野台教会を建設する話で喜びに満ちておられました。私達三田は、あと2ヶ月で行くところがなくなってしまうという不安の中で、作り笑顔さえ出来なくなっていました。「恐れるな小さな群れよ、御国を下さることはあなた方の父の御心なのである」ルカ12:32。とても力強く思いました。もう一ヶ月で私達は流浪の民とならなければなりません。皆さん、車を運転しているとき、教会にふさわしいと思われ場所があればすぐに知らせて下さいと長老が訴えられました。いよいよ今月で青野ダム会館ともお別れかと思うと、いろいろなことがあったなーと考えてしまいました。次の安息日の朝、神様から一枚の広告が与えられました。捨てるのも広げてみるのもあなた方が選びなさいと。私達はまずお祈りをしました。どうぞ神の御心のままに導いてくださいと短いお祈りでした。三田市の街の中、車15台、30人くらい集える場所でした。私達は1月から苦難の中にありましたが、神様はピリピ4:4にあるように、「主にあっていつも喜びなさい」と言われる聖句には神様の計画と深い愛を感じました。

(作成日付不明)

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三田聖書研究会特集にあたって

 この度は、三田聖書研究会の特集を企画していただき、誠に有難うございます。また、この二年間三田教会設立基金に一方ならぬご協力を頂き心から感謝致します。

 皆様の温かいサポートへのご報告も兼ねて以下のように特集を構成致しました。
今まの経緯 ②現状 ③将来の計画 ④メンバーの方々の短い証

これからも主の導きのままに有野台教会の方々と共に、三田伝道を推し進めていきたいと思っておりますのでどうぞ宜しくお願い致します。

三田聖書研究会のこれまでの歩みを振り返って

辻隆一郎

 94年7月に母なる有野台教会から三田へ挿し木されて丸6年、ヨチヨチ歩きだった私達もいつの間にか来年は小学校1年生になろうとしています。

7~8年前、有野台教会の教課研究グループにデイスカッションクラスがもたれていました。その頃は盛んに小グループ活動の研究が教会内で叫ばれていた頃です。小グループの良い点を活かして、大阪のベッドタウンであり人口増加率日本一の三田に、主が許して下されば教会を建てさせて頂きたいという夢を信徒伝道会と安息日学校の小グループで語り合いました。94年の第1期教課研究がヨシュア記であったと記憶しています。「モーセに告げたとおり、私はあなたたちの足の裏が踏む所をすべてあなたたちに与える。荒れ野からレバノン山を越え、あの大河ユーフラテスまで、ヘト人の全地を含み、太陽の沈む大海に至るまでが、あなたたちの領土となる。」ヨシュア1:3,4  このみ言葉は過去のものではなく、現代に住む私達一人一人への主の投げかけでもあります。信仰を持って未知の土地へ行き主の砦を築きなさいという召しが有野台教会に与えられたと信じています。「神様、三田に拠点を与えてください。20人くらいの人々が集まれて、駐車場も十分にある家の教会を与えてください。」と祈って与えられたのが現在の辻宅です。引っ越したのが94年の3月、そして有野台教会牧師の指導のもと、同年7月に念願の三田聖書研究会が15名程でスタートしました。三田聖書研究会の理念は小グループの実践でした。小グループ実践の主な推進力として3つの祈祷会を通して霊性を向上させていくこと、連絡網を利用してメンバーの横のつながりを育てていく事、教会では一人一人が何らかの責任を担うということでした。そうした努力がすこしずつ実を結び今日まで9名のバプテスマが与えられました。拠点はその後広野市民センター、そして現在の青野ダム記念館と移り、メンバーも15名から今では多い時で28名(子供含む)までに成長してきました。礼拝には有野台教会から次々に説教者が与えられた事は大きな励ましでした。グローバルミッションの予算を遣わしていただき、レストランでの珍しい有料の伝道講演会やクリスマスコンサートを持つ事が出来、貴重な体験を積む事が出来ました。春は花見、秋は修養会も持たせて頂きました。小さな歩みをいつも温かく見守ってくださった牧師先生はじめ有野台教会の皆様に心から感謝申し上げます。

以上

最初の頃の教会                     祝一周年のお祝い紅白饅頭

写真を見ていると、”全て自分たちで一からつくりあげた”という、当時の教会の皆さんの熱い思いや感動、喜びが伝わってきます。