日本における聖書翻訳の歴史

文語訳聖書= 明治訳(旧約聖書)+ 大正改訳(新約聖書)

日本に初めてキリスト教が伝えられたのは、戦国時代であった1549年(天保18年)、宣教師フランシスコ・ザビエル(1506年頃4月7日~1552年12月3日、スペインのナバラ王国生まれのカトリック教会の司祭〈司教・司祭・助祭と三つある聖職位階〉、宣教師、イエズス会創設メンバーの1人)が鹿児島に上陸した時のことでした。

そして、長期に渡る厳しいキリシタン弾圧の時代を経て、❶1874年にヘボン、S.R.ブラウンを中心とする「翻訳委員社中」のメンバーが<新約聖書>の翻訳をスタートさせました。

ヘブライ語とギリシア語で書かれた聖書の原典を翻訳する作業には、神学的な知識と日本語の知識を必要とし、その翻訳には、5年半の時間が費やされた。当時は漢文主体の日本でしたが、全ての民衆に伝えるための聖書とするため、平仮名やカタカナなど、日本語の表現方法についても種々検討された。

一方、❷<旧約聖書>は、1878年に組織された「聖書常置委員会」によって、英訳聖書、漢訳聖書など様々な種類の聖書を参考に翻訳がスタートしました。

そして、❸1887年に新約・旧約全ての翻訳作業が完了し、❹出版された文語訳聖書(新約・旧約)は、後年「明治訳」(明治元訳、元訳、委員会訳)と呼ばれた。後、❺1917年に改訂された新約部分は「大正改訳」と呼ばれた

このように、「文語訳聖書」は、日本で初めて旧新約全てを通して日本語に翻訳された聖書です。翻訳が完成した1887年に出版され、1917年には新約聖書部分が改訂されました。また、旧仮名や旧漢字を含む漢文調の文体を特徴とし、現代の日本語の文章とは表記方法が異なりますが、詩的なリズムや文学性が魅力と言われています。

従って、現在「文語訳聖書」と言えば、明治訳の旧約部分と大正改訳の新約部分の二つを併せた聖書を言います。文語訳聖書= 明治訳(旧約聖書)+ 大正改訳(新約聖書)

▶口語訳聖書 1955(昭和30)年完成
1951(昭和26)年4月、米、英両聖書協会の協力を得て、翻訳が始まった。この翻訳は、初めて日本人の聖書学者によってなされ、1954(昭和29)年に新約、1955(昭和30)年に旧約が完成した。

▶新共同訳聖書 1987(昭和62)年完成
1968(昭和43)年、聖書協会世界連盟(UBS)とローマ・カトリック教会の間で協議が成立し、プロテスタントとカトリックが同じ聖書を用いるための聖書翻訳の「標準原則」がまとめられ、世界各国で「共同訳」の翻訳が開始された。日本では、1970(昭和45)年、「共同訳聖書実行委員会」が組織され、翻訳がスタートした。
1978(昭和53)年『新約聖書 共同訳』が完成したが、その後、教会での使用を念頭に置いた翻訳に方針が変更された。こうして1987(昭和62)年9月5日、『聖書 新共同訳』が発刊された。
日本語の最初の聖書「ギュツラフ訳」から数えて150年、「文語訳」出版以後ちょうど100年目の年。

▶聖書協会共同訳聖書 2018(平成30)年完成
カトリックとプロテスタント諸教会の協力による『新共同訳』以来、31年ぶりとなる新しい共同訳聖書『聖書 聖書協会共同訳』(以下、『聖書協会共同訳』)で2018年12月25日に完成した。世界最大の聖書翻訳ネットワーク・聖書協会世界連盟(UBS)による最新の研究成果と、国内の聖書学者、日本語の専門家ら延べ148人の委員により、8年の歳月(2010年夏翻訳事業開始)をかけて翻訳作業が行われた。