世間の人間を見て、最もくことは ダライ・ラマ14世

「金を稼ぐために健康を害し、
今度は病を治すために、稼いだ金を使う。
将来の心配ばかりして、現在を楽しむことをしない。
その結果、人々は現在にも未来にも生きていない。
あたかも人生が永遠に続くかのように生きているが、
真の意味での人生を全うすることなく死んでいく。」

「すべてのことに完全無欠(=完璧)であろうとすると、自分の心の負担となって楽しめない。様々な不幸もこうした考えから起こる。また、他人が自分にとって十分に仕えてくれることを求めると、他人の足らないことを怒り咎めるので、心の患いになる。そのほか日常の飲食、衣服、器物、住まい、草木なども美しく非のないものを好んではいけない。多少でも気にいったもので良い。完全無欠に良いものを好んではいけない。」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆(「養生訓」儒学者 貝原益軒)

神交互作用」という言葉があります。

これは、ある感覚を過度に意識すると、その感覚がより過敏になり、その感覚が固着されることを言います。つまり、ヒトは何かを意識すればするほど、不安になりやすくなるということです。そして、不安は不安を呼び、どんどん負のスパイラルにはまっていくのです。

そもそも生きていくうえでの不安や死に対する恐れは、避けることのできないものです。不安や恐怖の感情を無理に排除しようとしてもなかなかできません。

ですから、不安を打ち消そうとするのではなく、まずは不安と共存する気持ちを持つことが大切だと言われています(なかなか難しいことですが)。

タイによる福音書(6:25~34)に、このようなことが記されています。

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。
空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。

あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。

だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」