世界の調和的存続は、わずか三十六人の義人によって支えられている

タルムードの言葉である。
三十六人の義人の大半は、農民や職人、商人といった地味な職業に従事しており、あまり目立たない謙虚な人たちでなければならないそうです。しかも彼ら自身、世界の調和を支えている「三十六人の義人」のひとりだと気づいてはいないというのです。仮に自らがその一人であると自覚したり、他人から認知されたりする場合、義人ではなくなってしまう。その瞬間にその人は消えてしまう、引退させられ、死ななければならないという厳しい制約があるのです。

人知れず黙々と汗と涙を流し、時には血を流す人の存在こそが、世界の存続に決定的な役割を担っているのだとタルムードは教えています。

厳しい制約、これはどういうことでしょうか。

V.E.フランクルは、下記のように記している。
・・・人々は、そういう人たちが模範となって自分を教育しかねないと気づくと「いやな気持になる」のです。人間は、教師口調で叱られたくないものなのです。・・・・・

旧約聖書と並ぶユダヤ教の聖典である『タルムード』に「日毎に神の臨在に接する三十六人の敬虔者」のことが語られている(Sukkah 45b)。またその後の伝説によれば、これらの敬虔者は、謙虚な隠れた義人として、百姓や職人などの目立たない生活を営みながら、その営みの背後に隠されている義によって、この世界の存立が支えられているという。(『それでも人生にイエスと言う』V.E.フランクル P.15~16より)