人道の港 敦賀ムゼウム

1940(昭和15)年~1941(昭和16)年、ユダヤ難民はナチス・ドイツの迫害等から逃れるため、リトアニアのカウナス領事代理・杉原千畝氏が発給した「命のビザ」を携え、リトアニアからウラジオストクを経て、敦賀港に上陸しました。

苦難の旅路を経て敦賀に降り立った彼らは、敦賀の街が「天国(ヘブン)に見えた」と後に語っています。
展示では、彼らが敦賀に上陸するまでの経緯や上陸当時の状況、日本から旅立つまでの出来事を紹介します。敦賀上陸当時のユダヤ難民に関する市民証言のほか、命のビザのレプリカ、ユダヤ難民が残した時計などを展示しています。
**********************人道の港 敦賀ムゼウム ホームページより
ムゼウム:ポーランド語で「資料館」という意味があります。

コリントの信徒への手紙一9:22
弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。