約翰福音之傳(ヨハネによる福音書)

1.ハジマリニ カシコイモノゴザル、コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル、コノカシコイモノワゴクラク。
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

2.ハジマリニ コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。
この言は、初めに神と共にあった。

3.ヒトワ コトゴトク ミナツクル、ヒトツモ シゴトワツクラヌ。ヒトワツクラヌナラバ。
万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

4.ヒトノナカニ イノチアル、コノイノチワ ニンゲンノヒカリ。
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。

5.コノヒカリワ クラサニカゝヤク、タゝシワ セカイノクライ ニンゲンワ カンベンシラナンダ。
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

これは、ドイツの宣教師、カール・ギュツラフ(1803年7月8日~1851年8月9日)が翻訳した日本で最初の聖書『約翰福音之傳(ヨハネによる福音書)』の言葉(聖句)です。

彼は、マカオで、現地にいた3人の日本人漂流船員(岩吉、久吉、音吉)※1から日本語を学び、それで日本語訳の聖書を作りました。1837(天保8)年に、シンガポールで木版刷りで印刷されましたが、現在、世界に16冊しか残っていません。

「ことば」は「カシコイモノ」、「神」は「ゴクラク」と訳されています。

ギュツラフは、神の「ことば」とは、人間が用いる言葉ではなく、キリストであることを示すために、「カシコイモノ(賢い者)」と訳しました。

※1:「海嶺」三浦綾子著
天保3年、千石船「宝順丸」は大阪で米を満載して江戸へ向かっていた。港を出て遠州灘を抜けようとしていた時、荒れ狂う嵐の中で船員たちは遭難、黒潮に乗って、東へと流されていった。その間、乗組員らは次々と壊血病に倒れ、岩吉、音吉、そして久吉の三人だけがアメリカに漂着した。インディアンに捕えられた三人は、奴隷として扱われた。やがてインディアンの言葉もわかりかけてきたころ、ハドソン湾会社の支配人マクラフリン博士の手によって救出され、日本に送り帰されることになった。船を待ちながら、彼らは英語を習い、キリスト教に出会うが、日本に帰りキリシタンになったことが分かると殺されてしまうと、堅く心を閉ざした。途中、マカオに到着した三人は、英国商務府の首席通訳官で宣教師でもあるギュツラフのもとに身をよせる。そこで聖書の日本語訳を提案された。今回の事件で多くのクリスチャンたちの愛の深さを知り、またギュツラフに世話になっていることもあり、聖書の和訳を手伝った。米国船モリソン号は彼らと、新たにマカオで合流した日本人漂流民四人を乗せて、浦賀港めざして出帆した。漂流から6年もの間、あこがれ続けた祖国を目前にして、男たちは目頭を熱くするが、非情にも日本は砲撃をもって彼らを追い返した。・・・。