039 ベトサダの池で病人をいやす(ヨハネによる福音書5:1~18)

ヨハネによる福音書5:1~18
01その後、ユダヤ人の祭り(→過越祭)があったので、イエスはエルサレムに上られた。

02エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」(→ベテスダ、ベトサイダとも表記され、現在の聖アンナ教会の下にある池)と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊(長く折れ曲がった廊下)があった。

03この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。

03b-04<底本に節が欠けている個所の異本による訳文>
彼らは、水が動く(→湧き水のため時々水面が動いた、天使が揺らすと信じる者もいた。)のを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。†

05さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。

06イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。

07病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」
→イエスの問いかけに対する病人の回答は、「はい」も「いいえ」も言わない、ただ心が偏屈になった、他者を非難する、責任転嫁が習性となってしまった心理状態が感じられる。

08イエスは言われた。「起き上がりなさい床(とこ)を担いで歩きなさい。」

09すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。
→イエスによる肉体の癒し、心(精神)の癒しが行われている。

10そこで、ユダヤ人たち(→宗教的指導者/最高法院に属する議員や祭司職、ファリサイ派や他の指導者たちに影響力を持つユダヤ教教師)は病気をいやしていただいた人に言った。「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。」

11しかし、その人は、「わたしをいやしてくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えた。
→一方的な恵みを受けた二も関わらず、責任転嫁をしている(肉体の癒しの段階で留まっており、魂の癒しは起こっていない)。

12彼らは、「お前に『床を担いで歩きなさい』と言ったのはだれだ」と尋ねた。

13しかし、病気をいやしていただいた人は、それがだれであるか知らなかった。イエスは、群衆がそこにいる間に、立ち去られたからである。

14その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って(魂の恵みを与えようとして更に)言われた。「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」
→この人は、イエスから癒され田にもかかわらず、罪を犯し続けているので、イエスから警告が与えられた。特定の病を罪の結果と言ってはいけないが、一般的な意味で、罪は病と死の原因である。

15この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、(悪意の気持ちから)ユダヤ人たちに知らせた。

16そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。
→安息日に、余計なことを行い、結果として、癒した人に床を運ばせるような、安息日の規律に違反することをさせたと、イエスを迫害した。

17イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられるだから、わたしも働くのだ。」
→イエスの神性宣言

18このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。
→ユダヤ人たち(→宗教的指導者/最高法院に属する議員や祭司職、ファリサイ派や他の指導者たちに影響力を持つユダヤ教教師)は、人の命より、口伝律法遵守を重んじた。