ままならぬ人生

『主はこう言われる。上って行くな。あなたたちの兄弟イスラエルの人々に戦いを挑むな。それぞれ自分の家に帰れ。こうなるように計らったのはわたしだ。』
彼らは主の言葉を聞き、主の言葉に従って帰って行った。(列王記上12章24節)

私たちの人生を表す言葉に「ままならぬ」、つまり、「思い通りにならない」と言う言葉がよく使われる。

大きなカベが目の前に現れ、どうすればよいか分からない、ジタバタしてもどうにもならないことが、人生にはたびたび起こります。私も何度かこのようなことを体験しました。
昔、仕事上で、このままだと何十億もの損失が出ることが発覚したとき、恐怖感等で着ていたワイシャツが一瞬にして、びちょびちょになったこともありました。

そのような現実に翻弄され、動揺する私たちに、神様は言いました。
「このように計らったのは、わたしだ」(その時は、聖書のこの言葉を知りませんでした)と。

私たちの願いや思いを越えた神さまのご計画が、私たちの人生には与えられているのです。
たとえどんなに不自由な境遇やピンチの状態にあろうとも、それは神さまのご計画、愛の現れなのだと思えば、救われるようになりました(それまでの私は、体中にびっしり汗をかいていたのです)。

それは「運命」というものかもしれません。運命とは、そのまま読めば、“命を運ぶ”と書きます。人間は、神さまが創造し、神さまが愛してくださる存在です。その愛の神さまが、神の御計画で私たちの「命」を運んでくださっているのです。だから、「戦いを挑むな」とも、神さまは言われるのです。

意のままにならないもの、ジタバタしてもはじまらないもの、どうにもならないものが、人生に起こったとき、それは神さまが私たちの人生の中で何かを伝えるために、寄り添おうとしているときなのです。その時、私たちの人生は、神様の掌の中にあり、神さまが私たちの命を運んでくださっているのです。

そんなちっぽけな存在の私ですので、神さまの御手に人生を委ねればいいのだと、思って います。

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