啐啄同時

同時(そったくどうじ)

この言葉は、中国の仏教書で、特に臨済宗において尊重される代表的な公案集「碧巖録」(へきがんろく)に出てくる言葉ですが、辞書で引くと、「師家と弟子とのはたらきが合致すること」「機が熟して悟りを開こうとしている弟子に師がすかさず教示を与えて悟りの境地に導くこと」とあります。

これは、雛が卵から産まれ出ようとするとき、卵の中の雛が「もうすぐ生まれるよ」と殻の中から卵の殻をつついて音をたてます。これを「啐」と言います。そのとき、そんな卵の変化に気づいた親鳥が、すかさず「早くここから出てきなさい」と外から殻をついばんで破る、これを「啄」と言います。この「啐」と「啄」が同時にあるとき、初めて、「殻」が破れて雛が産まれてくるのです。

「卒啄同時」は、逃したらもう二度と来ない、何かをするのに絶好のタイミング、大切な機会を言うのです

不思議とバプテスマ(洗礼)のことを思い出しました。(土師萌)

【参考】
「啐」は、口+卒(サイ)からできた形声文字です。意味は ①おどろく、②呼ぶ、・・・です。
「啄」は、口+豕(タク)からできた形声文字です。意味は ①ついばむ、②たたく、・・です。

イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 (ヨハネによる福音書3章3節)