016 少年イエスのルサレム訪問(ルカによる福音書2:40~52)

ナザレに帰る(12歳までのイエス)
39 親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。

40 幼子はたくましく育ち(→肉体的成長)、知恵に満ち(→霊的成長)、神の恵み(→カリス:寵愛:本来は受ける価値のない者が一方的に神の祝福に与かることで、ここでは、神の寵愛を受けていたと解釈できる)に包まれていた。
→12歳までのイエスに関する記述は、ここだけである。

神殿での少年イエス(12歳でのエルサレム訪問)
41 さて、両親は過越祭(→神がエジプトで奴隷とされていたイスラエルの民を解放するため、どのように助けたかを想起するために祝われた。→出エジプト記12:1~27、申命記16:1~8)には毎年エルサレムへ旅をした。
→ユダヤ人の三大祭(成人の男子が年に3回、エルサレムに巡礼し、祝う祭): ⓵過越祭、⓶七週祭(五旬節、ペンテコステ)、⓷仮庵祭
→過越祭は1日の祭りであり、それに続いて7日間の種なしパンの祭りがある。この時代、合計の8日間を過越祭、種なしパンの祭りなどと呼ぶ。また、ユダヤ教では、巡礼者は最低2日間エルサレムにとどまるように命じられた。
→離散以降、ディアスポラのユダヤ人たちはこれらの祭りを実行(巡礼)するのが困難になった(経済的状況、距離等)。

42 イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。
→一方、少年サムエルはすくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった(サムエル記上2:26)。
→主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」(サムエル記上3:10)
→ユダヤ人男子は、13歳になった時に宗教的共同体の中で全責任を取れる、つまり成人した男子と見なされるように、12歳で準備した。また、父の職業を学び始める年齢でもある。
→ユダヤでは、このような言い伝えがある。
「父親は、13歳までは息子に神について話すが、バール・ミツバ(成人式)以降は、神に対して、息子について話す。」
→女であるマリアは必ずしも行く必要はなかったが、信仰の表現として巡礼を行った(AD1世紀のユダヤ社会では、女性の参加は一般的な慣習になっていた)。

43 祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられた(→新改訳:とどまっておられた→潜在意識の中にあった神殿や礼拝への興味が少年イエスをとどまらせた。)が、両親はそれに気づかなかった。

44 イエスが道連れ(→巡礼者たちは、安全のためにキャラバンをつくり集団で移動した。)の中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、
45 見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。

46 三日の後、イエスが神殿の境内で学者(→律法やユダヤ教の巻物について教えた人)たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりして(→ユダヤ式教授法=イエスの教授法)おられるのを見つけた。

47 聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。
→幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた(ルカによる福音書2:40)。

48 両親はイエスを見て驚き(→本当の意味で、イエスの力をまだ理解できていなかった)、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」

49 すると、イエスは言われた。
「どうしてわたしを捜したのですか(→イエスのメシア的な最初のセリフで、12歳のイエスの心に育ったメシアとしての使命感、そして使命感から来る、両親との別れの宣言に近いと思われる)。
わたしが自分の父の家にいる(=自分の父の仕事をしている)のは当たり前だということを、知らなかったのですか。」

50 しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。

12歳以降のイエス
51 それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。
→父なる神への従順と両親への従順が見られる。

52イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

【参考】 エルサレムの中心性
❶少年イエスがメシアとしての使命に目覚めた場所がエルサレムである。
❷メシア(イエス)はエルサレムで十字架刑(磔刑)に付く。
❸メシア(イエス)はエルサレムで復活する。
❹終末の出来事(→大苦難(患難)時代、メシアの再臨、メシア王国)はエルサレムで起こる。