あたりまえは奇跡なのかも
人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。
不自由を常と思へば不足無し、心に望み起こらば、困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思へ。
勝つ事ばかり知りて、負くる事を知らざれば、害其身に至る。
己れを責めて人を責むるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり。 家康
悪性腫瘍のため右足を切断し、32歳の若さで亡くなられたDR井村和清さんの「あたりまえ」という詩をご紹介します。 -再掲載-
あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる、お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、 そして又朝が来る
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ
コリントの信徒への手紙二9:15
言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します。