ユリウス暦
ローマのガイウス・ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)がエジプトのアレキサンドリアで行われていたエジプト暦(=太陽暦、エジプト人が初めて太陽年の長さを計り、実際の役に立つかたちで明示した→1年=365日)を採用し、紀元前45年1月1日から実施された、1年を365.25日とする太陽暦である。季節とほぼ一致するこの方式はローマ世界で広く用いられ、中世ヨーロッパでも継承されたが、100年に0.8日ずつ実際の太陽の周期とずれるため、16世紀終わりごろにはその差が10日に広がり、不都合が生じてきた。そんな中、改暦運動が最高潮に達した1582年、ローマ教皇グレゴリウス13世は暦法の改訂(改暦)を命じ、「グレゴリウス暦」が制定、施行された。
改暦により、その年の10月4日の翌日を10月15日と定められたが、暦から10日間を削ったことで種々の面で不満の声があがり、混乱を生じた。
グレゴリオ暦(太陽暦)では、4年に一度、2月の終わりに「閏日」を加えて実際の太陽年と合うように調整している。

ユダヤ暦
ユダヤ暦は、日本の旧暦と同じく、月の満ち欠けを基準に月を決める太陰暦(太陰太陽暦)を守っている。
太陰暦は月の満ち欠けの周期を基にした暦(暦法)で、その周期を朔望月といい、1朔望月(月の満ち欠けの1周期)を「ひと月」とする。
なお、「太陰」は「(天体の)月」の意味である。29日の月(小の月)と、30日の月(大の月)をそれぞれ6回ずつ設け、1太陰年を354日とする。太陰暦を季節行事(農業や祭礼)に合わすため、2年か3年ごとに、アダルの月の後に閏月(第二アダル)を設け、1年を13か月にしている。このように、太陰暦でも季節に合うように工夫したものを太陰太陽暦(⇔純粋太陰暦:季節のずれを調整しない太陰暦)という。

国の民は、安息日と新月に、門の入り口の所で主に向かって礼拝しなければならない。(エゼキエル書46:3)