聖書を読もう

人間の真の幸福とは? この世に生まれた意味は?
永遠の書、「聖書」は、数千年にわたって、多くの人に影響を与え、偉大な教えを私たちに示してきました。
どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。= ==(テサロニケの信徒への手紙一 5章18節)
神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。=========================(テモテへの手紙一 2章4節)

聖書には、「旧約聖書」と「新約聖書」があります。

旧約聖書は大小39の書から構成されています。そのほぼ半分は古代イスラエルの先祖たちの物語や王国の歴史記述であり、それに預言者たちの言葉やイスラエルの民が詠った詩歌が、さらに短編小説を思わせる物語や人生を省察した作品などが加わっています。

また、新約聖書はキリスト教会内で成立した書物でした。そこには、イエス・キリストの言行を伝える福音書、初代キリスト教の宣教(伝道)の記録、キリスト教をローマ世界に伝えたパウロの書簡など、キリスト教が確立していく過程で記された27の書物が収められています。

バイブルタイムライン(聖書イラスト付年表)
詩編119編105節
あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。
✞ ヨハネによる福音書5章39節
あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。 
✞ ローマの信徒への手紙15章4節
かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。 
✞ ガラテヤの信徒への手紙3章22節
しかし、聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めたのです。それは、神の約束が、イエス・キリストへの信仰によって、信じる人々に与えられるようになるためでした。
✞ テモテへの手紙二3章16節
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。

聖書は、キリスト教の「正典」(せいてん)とされています。「正典」という言葉は、ギリシア語の「カノン(kanōn)」から来ており、「定規、基準、規範」などの意味があります。

また、聖書は約1600年の時をかけて、すべて神の霊の導きの下に、様々な時代の何人もの人たち(40数名)が書き記したものです。前半の約四分の三が「旧約聖書(the Old Testament)」、残りの約四分の一が「新約聖書(the New Testament)」と呼ばれ、「旧約聖書」は39巻(カトリック聖書は46巻)、「新約聖書」は27巻の合計66巻の書物が集まり、一冊となっています。
また、「旧約」「新約」の「約」は「契約」という意味です(「訳」ではない)。

旧約聖書の原典「ビブリア・ヘブライカ・シュトットガルテンシア」(㊟最初の原本はまだ発見されていませんので、正確には「写本」です)は、「ヘブライ語」と「アラム語」で書かれています。そして、「新約聖書」の原典「ネストレ・アラント/ギリシア語新約聖書」(㊟最初の原本はまだ発見されていませんので、正確には「写本」です)は、「ギリシア語」で書かれています。「旧約聖書」は、もともとユダヤ教の正典であり、ユダヤ人の言葉である「ヘブライ語」と「アラム語」で、また「新約聖書」は、キリスト教が最初に広まったローマ帝国の人たちが話す「ギリシア語」で書かれています。

神様の貴重な知恵の宝庫である聖書を読み学ぶ上で、一番大切なことは、「ここに書かれていることは、神様が一体何を私たちに伝えようとしているのか」を考えることです。
歴史的事実や記述内容の調査、検証も大事ですが、それより、そこに示された神様の真の思い(メッセージ)を自分の頭と心で考え、感じ、少しでも理解することです。

大事なことは聖書に記してあることから「真理」をつかむことです。
聖書を読むことによって、私たちは神に目を向け、神の導きを知り、何かを発見し、神に対する信頼を持つことができます。聖書に記された、昔も今も変わらない神様のメッセージをとらえることを目指しましょう。

わたしはすべての山に道をひらき/広い道を高く通す。(イザヤ書49章11節)

あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。(ヨハネによる福音書8章32節)

聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。(テモテへの手紙二3章16節)