絶対にあきらめない I will never give up

高市早苗(総理)のモットーでもあります。
ヤコブ1:12には「試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです」と記されています

私たちには、なぜか、避けられない試練や苦しみがあります。思い通りにならない状況、心が折れそうな出来事、祈ってもすぐに変わらない現実、・・・。
それでも聖書は、試練を通る人を「不幸」とは言わずに、”耐える人は幸い”だと語ります。

なぜでしょうか。試練は、信仰を弱めるためではなく、”信仰を強めるために神が用いられる場”だからと思います。
困難の中で、神に心から祈るとき、神の力と支えを体験します。

ローマ書の5章には「苦難(患難)は忍耐を生む」とあります。
試練は私たちを清め、キリストの品性を形づくるのです。

そして、試練に耐え抜いた者には「命の冠」、すなわち永遠の命(調査審判の話しは省略します)と神からの誉れが約束されています。
この地上の評価ではなく、”神が認めてくださる人生(品性の完成)”こそ価値があります。

今、試練の中にいる方がいるなら、どうか希望を捨てないでください。
神はあなたを見ておられ、必ず、それに耐える力を与えてくださいます。
主と共に歩む者は幸いです。
試練の先には、神の祝福と報いが待っています。

ローマの信徒への手紙5:1~5
このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達(聖書協会共同訳:品格)を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。