我々に必要なもの

われわれは今、神の約束を試すことによって、神をよく知らなければならない。天使は心からの熱心な祈りをすべて記録している。われわれは、神との交わりを怠るよりも、利己的な満足を求めることをやめるべきである。神の是認の下にある最低の貧困、最大の自己犠牲は、是認のない富、栄誉、安楽、友情にまさっている。われわれは、時間をかけて祈らなければならない。もしわれわれが世俗のことに心を奪われているならば、主は、金、家屋、肥えた土地などの偶像を、われわれから取り去ることによって、われわれに時間をお与えになるかもしれない。

もし青年が、神の祝福を求めることができる道のほかには、どんな道に入ることをも拒むならば、罪に誘われることはない。世界に最後の厳粛な警告を伝える使命者たちが、冷淡で無気力で怠惰な態度でなくて、ヤコブのように、熱烈に、信仰をもって神の祝福を祈り求めるならば、「わたしは顔と顔をあわせて神を見たが、なお生きている」と言うことのできる多くの場所を見いだすであろう(創世記32:30)。天は彼らを、神と人とに勝つ力をもった王子たちとみなすのである。
参考:希望への光(各時代の大争闘)P.1901-1902より抜粋

創世記32:30
「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、
「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。