イスラエル第2代の王 「ダビデ」 David

エッサイの第八子(サムエル記上17:12)で羊飼いから身をおこして、初代イスラエル王サウルに仕え(サムエル記上16:14~22)、サウルがペリシテ人と戦って戦死(自死)した(サムエル記上31章)後、ダビデは神の託宣を受けてユダのヘブロンへ赴き、そこで油を注がれてユダの王となった(サムエル記下2:1~7)。ユダの一族を率いたダビデは、サウルの後を継いだサウルの息子イシュ・ボシェト率いるイスラエルの軍勢と戦いを繰り返した(イシュ・ボシェトは昼寝中に家臣に殺害された)。ダビデは全イスラエルの王(在位:BC1000年~BC 960頃)、指導者になり、エブス人の町であったエルサレム(歴代誌上11:4)に進撃してそこを都とした(サムエル記下4:1~5:4)。これ以降、エルサレムは、政治的にも宗教的にも、イスラエルの民の生活の中心地となった。こうして、ダビデは、短期間の内に統一王国を確立することに成功しました。

また、ダビデは、エルサレムで「神の家」つまり、神殿の建設を願ったが、神はそれをお赦しにならなかった。理由は、ダビデが多くの人の血を流させた戦士だったからである(列王記上5:17)。
結局、神殿の建設は、息子のソロモンに委ねられることになる。

ダビデ契約(サムエル記下7:5~16):神とダビデとの契約
ダビデに与えられた約束は重要で、神はダビデの家系(→ダビデ王朝)が永遠に続き、その王国(→ダビデ王国)が永遠に終わる事がないと約束された(サムエル記下7:16)。
ダビデの家系から王座に就き永遠の王として統治される方がイエス・キリストである。
別の視点から見ると、ダビデ契約は、悪魔に向けられた「イスラエルは永久に滅びることはない」という神の宣言である。

ダビデに対する巧妙な悪魔の攻撃(1)

神はダビデを大いに祝福されたので、イスラエルは黄金時代を築いていくことができました。しかし、悪魔はこれを黙って見てはいなかった。心に緩みが生じていたダビデに悪魔が巧妙な罠、攻撃を仕掛けてきたのである。

悪魔の最大の目的は、ダビデの家系を破壊することである。そのための一番の得策は、ダビデ個人を攻撃することでした。

アンモン人との戦いが再開した当時、ダビデは将軍ヨアブだけを戦地に遣わし、自分はエルサレムに留まっていた。本来、戦いに出陣し、陣頭指揮をとらねばならいのに、ダビデの心には緩みが生じていたのである。

悪魔はダビデのその弱点を一発で突いた。まんまと悪魔の誘惑にはまってしまったダビデは、こともあろうに姦淫(→聖書に81回、68聖句に登場する)と殺人の罪を犯してしまうのである。これがサムエル記下11章に記された、ダビデの最大の罪、「バト・シェバ事件」である。この結果、ダビデの霊的、肉体的、そして精神的な状態は、破滅寸前のところまで追い込まれていくことになる。

そんな中、ダビデは、主に心から悔い改めの祈りを捧げ、神に赦しを乞うたのでした。その祈りに応えて、主はダビデを赦されたのでした。
→ヨハネの手紙一1:9
自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。

しかし、ここで注意しなければならないことは、罪は赦されても、罪の結果は残るということです。

神はダビデの罪を赦されはしましたが、ダビデが犯した罪を忘れてはおられませんでした。

神は、ダビデとイスラエルの民に、教訓を学ばせるために、多くの苦難をもたらされました。神は、預言者ナタンを遣わし、ダビデの罪を暴かれました。これは罪の恐ろしさを学ばせるための神の訓練でした。

貧しい人の雌の小羊を強引に取り上げたのは自分であることを知ったダビデは、即座に、主に対して、そしてウリヤとバト・シェバに対して犯した罪を認め、告白します(ダビデの素晴らしい点は、神の恵みによって、神に立ち帰ることができると信じたことです)。

その内容が詩編51編に記されています。

詩編51編は、ダビデの悔い改めの詩(し)です。

01【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。02ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき。】
03神よ、わたしを憐れんでください/御(おん)慈しみをもって。深い御(おん)憐れみをもって/背きの罪をぬぐってください。04わたしの咎をことごとく洗い/罪から清めてください。05あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。06あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し(→サムエル記下12:13)/御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく/あなたの裁きに誤りはありません。07わたしは咎のうちに産み落とされ/母がわたしを身ごもったときも/わたしは罪のうちにあったのです。08あなたは秘儀ではなくまことを望み/秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。09ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください/わたしが清くなるように。わたしを洗ってください/雪よりも白くなるように。10喜び祝う声を聞かせてください/あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。11わたしの罪に御顔(みかお)を向けず/咎をことごとくぬぐってください。12神よ、わたしの内に清い心を創造し/新しく確かな霊を授けてください。13御前(みまえ)からわたしを退けず/あなたの聖なる霊を取り上げないでください。14御(み)救いの喜びを再びわたしに味わわせ/自由の霊によって支えてください。15わたしはあなたの道を教えます/あなたに背いている者に/罪人が御(み)もとに立ち帰るように。16神よ、わたしの救いの神よ/流血の災いからわたしを救い出してください。恵みの御業(みわざ)をこの舌は喜び歌います。17主よ、わたしの唇を開いてください/この口はあなたの賛美を歌います。18もしいけにえがあなたに喜ばれ/焼き尽くす献げ物が御旨(みむね)にかなうのなら/わたしはそれをささげます。19しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません。20御旨(みむね)のままにシオンを恵み/エルサレムの城壁を築いてください。21そのときには、正しいいけにえも/焼き尽くす完全な献げ物も、あなたに喜ばれ/そのときには、あなたの祭壇に/雄牛がささげられるでしょう。

一時的なダビデの欲望(姦淫)の罪の結果、ダビデはもちろん、バト・シェバにも神の裁きが下り、産まれた子は、死を宣告され、病気になり、死んでしまい(サムエル記下12:18)、ダビデの絶頂期もサムエル記下12章をもって終わります。

バト・シェバも、自分が犯した罪に対して、神の怒りが非常に厳しいものであることを感じ、深い恐れと悲しみに襲われました。

そして、ダビデには、長年にわたって次々と罪の刈り取り作業である悲劇が起こります。さらに、子アブサロムも父ダビデに対して謀反を起こし、王位を奪おうとします(同15:1~12)。なんとかアブサロムの反乱を収めましたが、張本人のアブサロムは家臣によって殺されてしまいます(同18:15)。

年老いてから、王座を狙われるダビデの心には、恐らく「バト・シェバ事件」に対するいつまでも消えない自責の念や王としての無力感や絶望感等、複雑な感情が入り混じっていたことでしょう。

サムエル記下15:30
ダビデは頭(あたま)を覆い、はだしでオリーブ山の坂道を泣きながら上って行った。同行した兵士たちも皆、それぞれ頭を覆い、泣きながら上って行った。

これらのことは全てダビデが犯した罪の恐ろしさを学ばせるための神の訓練でした。

悔い改めによって罪は赦されても、犯した罪の結果は決して消えることはなく、残るということを、私たちはこのダビデとバト・シェバ事件の罪の物語から学ぶことができます。

ダビデに対する巧妙な悪魔の攻撃(2)

ダビデに対する悪魔の更なる攻撃は、「人口調査」という形でやって来ました。ダビデが人口調査(サムエル記下24章、歴代誌上21章)、つまり兵力の調査を行った動機は自らの力を誇るためでした。ダビデは、神よりも自らの兵力、力に頼ろうとしたのでした。そのようなダビデを神は裁かれました(サムエル記下24:11~15)。

ダビデは、人口調査の罪を自覚し、直ちに悔い改めの祈りを神に捧げました(サムエル記下24:25)。

サムエル記下24:11~15(歴代誌上21:9~14)
11ダビデが朝起きると、神の言葉がダビデの預言者であり先見者であるガドに臨んでいた。12「行ってダビデに告げよ。主はこう言われる。『わたしはあなたに三つの事を示す。その一つを選ぶがよい。わたしはそれを実行する』と。」13ガドはダビデのもとに来て告げた。「⓵七年間の飢饉があなたの国を襲うことか、⓶あなたが三か月間敵に追われて逃げることか、⓷三日間あなたの国に疫病が起こることか。よく考えて、わたしを遣わされた方にどうお答えすべきか、決めてください。」

14ダビデはガドに言った。「大変な苦しみだ。主の御手にかかって倒れよう(、と三番目の疫病を選んだ)。主の慈悲は大きい人間の手にはかかりたくない。」15主は、その朝から定められた日数の間、イスラエルに疫病をもたらされた。ダンからベエル・シェバまでの民のうち七万人が死んだ。

人口調査を行った罪は、正に「高慢の罪」で、サタン(ルシファー)の堕落の原因となった罪でした。

自身の保有兵力を誇ろうとする、ダビデの高慢の罪を裁くために、神は、その原因となった兵力を取り去られたのでした。こうした神の裁きは、全ての力の源は神御自身であることをダビデに教えました。

こうして、巧妙な悪魔の攻撃はまたしても失敗に終わったのでした。

㊟ダビデの在位期間については、種々あります。ここでは、BC1000年~BC960年とします(上図表記と異なります)。