097 二度目の受難予告(再び自分の死を予告する)

ルカによる福音書9:43~45、マタイ17:22~23、マルコ9:30~32

ルカによる福音書9:43~45

43人々は皆、神の偉大さに心を打たれた。

再び自分の死を予告する
(マタイ17:22一行がガリラヤに集まった。)イエスがなさったすべてのことに、皆が驚いていると、イエスは弟子たちに言われた。

44「この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は(今にも)人々の手に引き渡されようとしている。」(マタイ17:23~24そして殺されるが、三日目に復活する。弟子たちは非常に悲しんだ。)
→(回復訳)「これらの言を、あなたがたの耳に納めておきなさい.人の子は、人々の手に渡されようとしている」。

45弟子たちはその言葉(の真意)が(明確に理解できず)分からなかった。彼らには(イエスが言われている言葉の意味が)理解できないように隠されていたのである。(自分たちのおぼろげな不安が的中することを恐れた)彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。
→(回復訳)しかし、彼らはこの言われたことがわからなかった.それは、彼らが理解できないように、隠されていたのである。彼らはこの言われたことについて、イエスに尋ねることを恐れた。
→(リビング・バイブル)ところが弟子たちには、何のことを言っているのかさっぱりわかりませんでした。このことばの真意が隠されていたからです。それに、聞き返すのもこわかったのです。
→(ヨハネによる福音書13:6~7)シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。

イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。

【参考】 すべてが知らされていないことの祝福
裏切られ、逮捕される(マルコによる福音書14:43~52)
(私たちも同じだが、弟子たちがすべてを理解していたなら、彼らは怖くて逃げ出していたであろう。)
さて、イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダが進み寄って来た。祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていた。

ユダはやって来るとすぐに、イエスに近寄り、「先生」と言って接吻した。人々は、イエスに手をかけて捕らえた。居合わせた人々のうちのある者が、剣を抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落とした。そこで、イエスは彼らに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。
一人の若者(=マルコ)が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった

※097 二度目の受難予告(再び自分の死を予告する)