無識の指揮官は殺人犯なり

無識の指揮官は殺人犯なり

海軍大学校の戦術教官(海軍中将)となった秋山真之が、艦隊指揮をとる将官の判断一つで兵の生死が左右されることを語ったものです。

秋山真之が行った授業はケースメソッド(実際の事例研究を重視した教育方法)でした。

知識は自分たちで書物から得、それを緊迫した模擬実戦の場で試し、そこから己自身の考え方を導くものでした。

現場の大切さを教えるものとして、組織運営や経営にも役立つものです。(土師萌)

秋山真之
16歳の時に中学を中退、上京して友人の正岡子規と共に東京大学予備門で学ぶ。その後、兄 秋山好古の勧めで海軍兵学校に入学し、首席で卒業する。明治27年、筑紫の分隊士として日清戦争に従軍した。
明治30年、米国留学を命じられ、マハンから海軍戦術を学ぶとともに米西戦争を視察。帰国後は海軍大学校の戦術教官となり、兵棋演習を取り入れるなど体系的な海軍戦術教育を行った。

わたしはすべての山に道をひらき/広い道を高く通す。(イザヤ書49章11節)