Love, Amare(ラテン語), Amore(イタリア語), Liebe(ドイツ語), Amour(フランス語)

ギリシア語には「愛」を表現する言葉が四種類あります。

❶アガペー:神の人間に対する真の愛、無条件の愛(古代ギリシアではあるものを他よりも優遇する愛)。「敵を愛しなさい」のキリスト教的な愛で、別の言い方をすれば、「理性の愛」です。
❷フィリア:隣人愛、連帯感、好意を感じる愛(古代ギリシアでは友人の友人に対する愛)
③ストルゲー:家族愛、親子愛
④エロス:性 愛、本能・肉体的な愛(古代ギリシアでは自己を充実させる愛)
→ストルゲーとエロスは、聖書には出てきません。

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:43、44)
→日本人の感覚とは違い、イエスの時代、隣人とは、同胞、同宗教、同信仰、同部族(等)であって、それ以外の者は隣人ではありませんでした。だから、この部分は、あなたの敵である隣人以外の人をも愛し、そして自分を迫害する者のためにも祈りなさいとイエスは言っているのである。自分を中傷し、敵対する相手であれ、神の子として、また、罪を贖われた者として、隣人として赦し、愛し合うべきであるという、人類愛の宣言があります。

パウロは、「(それゆえ、)信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(1コリント13:13)、また、「たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。」(同13:2)、「愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。」(同14:1)と記し、すべてにおける愛の優位性を訴えました。

また、パウロは「わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。」(ローマ1:5)と記し、神の永続的な無償の愛を「恵み」と表しました。これは後に“gratia”(恩寵、イエス・キリストにおいて啓示されたすべての人間に対する神の愛と慈悲)とラテン語に訳されて、キリスト教神学の原理的概念となりました。

作家の曾野綾子は、著書「現代に生きる聖書」(NHK出版)の中で、次のように記しています。

・・・・・つまり私は、「アガペー」と「フィリア」は一応は分離して考えなければならないけれども、それはある瞬間にぱっと融合することがありうるはずだと思っているのです。そういう劇的なすばらしい瞬間を何度も経験しているわけではありませんが、しかし信じています。
~「現代に生きる聖書」曾野綾子 著 P.62 ~