025 ニコデモとの対話(ヨハネによる福音書2:23~25、3:1~21)

▶ヨハネによる福音書2:23~25

23イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるし(→the signs、「宮清め」=ヨハネ2:13~22=メシア宣言⇒「しるし」(いやし)=メシア性の証明)を見て、多くの人がイエスの名を信じた。
→人々は、イエスを「いやし主」として信じた(→一時的な興奮状態に陥った信仰状態で救いに至る信仰ではない)が、罪からの「救い主」として信じたのではない。
→過越祭(ヘブライ語でペサハ)は、エジプトの奴隷状態にあったユダヤ(イスラエル)の民が、モーセを通して行われた神の救いのわざによって、エジプトから脱出したことを祝う祭りです。ユダヤ(イスラエル)の民にとって、このエジプト脱出は、自分たちの先祖の神(ヤーウェ)の救いを体験する根本的な出来事となりました。そして、この神の救いのわざを記念するため、イスラエルの民は、ニサンの月の14日(太陽暦では、3月末から4月の初めの頃)に小羊を屠って焼き、種無しパンとともに食べて祝うようになりました(出エジプト記12:1〜28参照)。

24しかし、イエス御自身は彼ら(の信仰)を信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、
25人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである
→サムエル記上16:7 しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」

▶ヨハネによる福音書3:1~21

01さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの(最高法院=サンヘドリンの)議員(→指導者)であった。
→貧困者に支持者の多いファリサイ派 →ヘレニズム(=ギリシア風)文化に対して否定的
ユダヤ教の教派で、イエスの時代に最も高く評価されていたのはファリサイ派で、現代のユダヤ教の諸派もほとんどがファリサイ派に由来している。
ファリサイ派はハスモン朝(BC 140年頃からBC 37年までユダヤの独立を維持して統治したユダヤ人王朝)時代に形成され、死後の世界(死者の復活)を信じ、律法を守ること、特に安息日や断食(週2回、木曜日と金曜日)、施しを行うことや清めの儀式を強調した。
律法学者(モーセ五書〈トーラー〉-創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記-を研究する学者)の多くがファリサイ派に属し、聖書(旧約)の独自の研究と伝承による解釈を固執、主張した。聖職者である律法学者(ラビrabbi)を信仰の仲介者とし、ユダヤ人会堂の多くを管理していた。ファリサイ派は、律法を研究、遵守して、どのように生きるべきかについて教えていたために、民衆に尊敬されていた。
ファリサイ派の名称は、「パルーシーム」=「分離する者」あるいは「清い者」を意味するヘブライ語に由来するとされるが、正確には不明である。
ユダヤ人指導者の中には密かにイエスを信じる者もいたが、ユダヤ人会堂から追放されるのを恐れ、このことを公言しなかったし、もし、それが発覚した場合は、ユダヤ人指導者たちは、イエスを信じるようになった者をユダヤ人共同体や会堂から追放した(ヨハネによる福音書9:22)。
イエスを訪問したニコデモは最高法院に属する議員で、ファリサイ派の教師でもあった(ヨハネによる福音書3:1)。
また、ファリサイ派の人々はイエスが自分たちの立場や影響力を脅かすと考え、イエスを殺そうと企んだ(マタイによる福音書26:1~5、マルコによる福音書14:1~2、ルカによる福音書22:1~6、ヨハネによる福音書11:45~57)。
エルサレム神殿の崩壊(AD70年)後はユダヤ教の主流派(神殿に拠っていたサドカイ派は消滅)となり、会堂に集まって聖書を読み、祈りを捧げるスタイルが、ユダヤ教のスタイルとなっていった。

02(自分の姿を他人に見られたくなかったニコデモは)ある夜、イエスのもとに来て言った。
ラビ(→地位があり、はるかに年上のニコデモが若いイエスに敬意を表している)、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」

03イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ(→上から、新しく生まれなければ=ボーン・アゲイン)、神の国(→神の支配する国)を見ることはできない。」
→ユダヤ教が教える新生の時
①異邦人がユダヤ教に改宗した時、②王になった時、③成人(バール・ミツバ=13歳)を迎えた時、④結婚した時、⑤30歳でラビになった時、⑤神学校(イェシヴァ)の校長になった時(通常は50歳)

04ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」

05イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とに(→洗礼)よって生まれなければ、神の国に入ることはできない。

06肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。
→イエスは、神の国に入るためにはユダヤ民族(選民意識が強い)に生まれることでも、律法に従うことでもなく、聖霊によって生まれると言っている。

07『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。

08風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
→風は己(おの)が任(まま)に吹く(明治元訳)。/風は己が好むところに吹く(文語訳)。
→文語訳聖書=明治元訳・明治訳・元訳・委員会訳(旧約)+大正訳(新約)

09するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。

10イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師(→the teacher of Israel: NEW KING JAMES VERSION、Israel’s teacher:NEW INTERNATIONAL VERSION、ユダヤ教の教師)でありながら、こんなことが分からないのか。

11はっきり言っておく(→Very truly I tell you、よくよく言っておく:口語訳、聖書協会共同訳)。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。

12わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。

13天から降って来た者、すなわち人の子(→イエス・キリスト)のほかには、天に上った者はだれもいない。

14そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。
→蛇に咬まれた人々を治癒するためにモーセが掲げた青銅の蛇のように、イエスは自分も十字架に上げられると言っている(民数記21:4~9)。

15それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。

16神は、その独り子をお与えになったほどに、世(→人間)を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
17神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
→16、17節は、「小聖書」とも呼ばれる。
→裁く:condemn=有罪を宣告する、断罪する

18御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。

19光(→イエス・キリストとその福音)が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。

20悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。

21しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」