神様は、なぜエデンの園に「善悪の知識の木」を置かれたのか

▶エデンの園では、どんな木からでも取って食べることができた。ただ、「善悪の知識の木」からは絶対に取って食べてはいけないと神は命じられた。

創世記2:16~17
【新共同訳】
主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」

【聖書協会共同訳】
神である主は、人に命じられた。「園のどの木からでも取って食べなさい。ただ、善悪の知識の木からは、取って食べてはいけない。取って食べると必ず死ぬことになる。」

【リビング・バイブル】
ただし、一つだけきびしい注意がありました。「園の果物はどれでも食べてよい。だが、『良心の木』の実だけは絶対に食べてはいけない。それを食べると、正しいことと間違ったこと、良いことと悪いことについて、自分勝手な判断を下すようになるからだ。それを食べたら、あなたは必ず死ぬ。」

【NEW INTERNATIONAL VERSION】
You are free to eat from any tree in the garden; but you must not eat from the tree of the knowledge of good and evil, for when you eat from it you will certainly die.

▶アダムとエバには、人間としての条件、つまり神に従う自由、神に従わない自由を与えられた。神はサタンの誘惑を許し、アダムとエバに【選択の自由】を与えられた。

▶神は、アダムとエバが神の命令を守ることによって、善悪の違いを知ることを望まれた。善悪の知識の木から取って食べないことによって、善悪の知識を得るということです。しかし彼らは、その木の実を食べ、自分が罪の一部となることによって善悪の違いを知ったのである。彼らは「善悪の知識の木」から取って食べた瞬間、強烈な罪責感に襲われた。おして、彼らには、恥の感覚が生まれ、自分たちの裸を直視できなくなった。アダムとエバの堕落は、私たちの世界に【死】をもたらした。

▶アダムの堕落以降、すべての人は原罪を持ち、誕生するようになった。しかし神は、人類を見捨てることなく、救いの道を用意された。それが「イエス・キリスト」であり、彼は「最後のアダム」と呼ばれる。最初のアダムは、神に逆らい堕落し、この世に死をもたらしたが、最後のアダムである、イエス・キリストは、十字架の死に至るまで神に従順でおられ、この世に永遠の命をもたらした。
私たちは、イエス・キリストを信じることによって、罪の赦しと【永遠の命】を受けることができる(ヨハネによる福音書6:47)。
※上記の聖句は、聖書研究ソフト「聖書Navi Active」により検索、抽出しています。