カイアファ Kayafa

ユダヤの大祭司(在位:AD18年頃~ 36/37/44年頃)で、カイアファは父の名で、正確には「カイアファの子ヨセフ」である。サドカイ派で、イエスを引見する場面等で登場する(イエス殺害計画の首謀者)。

大祭司であるカイアファは地域の諸問題に関する決定権や祭司たちの統括権を持ち、ユダヤ最高法院の議長でもあり、イスラエルの宗教、政治の指導者たちの間で、絶大な力を持っていた。
そして、イエスを死刑にするための裁判も指揮した。裁判の後、イエスはローマ帝国ユダヤ総督ポンティオ・ピラトに引き渡した(マタイ27:2、マルコ15:1、ルカ23:1)。

ユダヤ人の歴史家のフラウィウス・ヨセフス※1によると、カイアファはAD18年頃に大祭司となった。

大祭司アンナス(在位:AD6~15年)の義理の息子(婿)で、ローマ総督の任命によって大祭司となった。これは当時のユダヤではハスモン朝※2以来の伝統で大祭司が王と同じように政治的な影響力をもっていたことを示している。

イエスを捕らえた人々は、カイアファより先にアンナスのもとへイエスを連れて行った(ヨハネ18:13)ことから、アンナスが辞職後も大祭司としての称号を持ち、重要問題では助言を求められるなど、元大祭司として強い影響力を持っていたと考えられる。

※1:ヨセフス・ベン・マタティア(AD37年~100年頃)、帝政ローマ期の政治家及び著述家。AD66年に勃発したユダヤ戦争で当初ユダヤ軍の指揮官として戦ったがローマ軍に投降し、ティトゥスの幕僚としてエルサレム陥落にいたる一部始終を目撃、後にこの顛末を記した『ユダヤ戦記』を著した。

※2:BC140年頃からBC37年までユダヤ(イスラエル)の独立を維持して統治したユダヤ人王朝。BC166年に起きたユダ・マカバイ(マカベウス)によるセレウコス朝軍への決起から20年後に成立。フラウィウス・ヨセフスによればハスモンという名は一族の先祖、祭司マタティアの祖父の名前に由来しているといわれている。

※絵:カイアファの前に立つキリスト/Mattias Stom 筆

※上記の聖句は、聖書研究ソフト「聖書Navi Active」により検索、抽出しています。