前後際断
現在の状況を過去や未来と対比させてみるあり方を止める、つまり、過去(前際)にとらわれず、未来(後際)を憂うことなく今を生きよ、という禅の教え(曹洞宗 道元師、臨済宗 沢庵和尚)である。
やり直せない過去を引きずるのも、起こるか起こらないかわからない先のことを憂うのもすべて心を惑わせる雑念で、今を精一杯生きることに専念せよという考え方です。
菜根譚(洪自誠-洪応明、還初道人-による随筆集)にも同じようなことが書かれています。
只是(ただこれ)前念(ぜんねん)滞(とどこお)らず、後念(こうねん)迎えず、ただ現在の隋(=隋縁:縁に従うこと)を持って、打発(だはつ)し得(え)去れば、自然(じねん)に漸々(ぜんぜん)無に入(い)らん。(菜根譚 後集)
→過ぎ去ったことはくよくよせず流し去り、将来のことに心を悩まさず、ただ日々、目の前に起こることを淡々と行っていけば、自然と無心の境地に入ることができる。
マタイによる福音書6:25~34
「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。
空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」