江戸時代のキリスト教徒が「キリシタン(切支丹)」と呼ばれた理由

明治以前、キリスト教やキリスト教徒が「キリシタン」と呼ばれたことは誰もが知ってる。

1549年にフランシスコ・ザビエルが日本に宣教に来た室町時代は、「南蛮宗」「伴天連(バテレン)」などとも呼ばれたが、次第に「クリスチャン」(ポルトガル語)から「キリシタン」が定着、「吉利支丹」という漢字が使われた。キリシタン弾圧が強まると、「鬼利死炭」と差別表記され、迫害された。後、徳川綱吉の「吉」の字までダメとなり、「キリシタン(切支丹)」となりました。

長崎と天草地方の潜伏切支丹 アニメ1分版