聖書を読もう!

聖書を読もう!

どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。= ==(テサロニケの信徒への手紙一 5章18節)
神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。=========================(テモテへの手紙一 2章4節)

聖書には、「旧約聖書」と「新約聖書」があります。

旧約聖書は大小39の書から構成されています。そのほぼ半分は古代イスラエルの先祖たちの物語や王国の歴史記述であり、それに預言者たちの言葉やイスラエルの民が詠った詩歌が、さらに短編小説を思わせる物語や人生を省察した作品などが加わっています。

また、新約聖書はキリスト教会内で成立した書物でした。そこには、イエス・キリストの言行を伝える福音書、初代キリスト教の宣教(伝道)の記録、キリスト教をローマ世界に伝えたパウロの書簡など、キリスト教が確立していく過程で記された27の書物が収められています。

旧約聖書が現在のような形にまとめ上げられたのは紀元前2世紀です。旧約聖書はキリスト教より前に、ユダヤ教徒の聖書として成立しました。しかも、その大半が記された時期はそれより幾世紀もさかのぼります。それらは、ユダヤ教が確立する以前に、古代イスラエルの民によって、書き残された(口伝を含む)書物でした。ユダヤ教はこれを基礎にして成立しました。ですから、ユダヤ教徒にとっては、今でも旧約聖書だけが聖書です。彼らはこれを「ミクラー(Miqra)」あるいは「タナハ(Tanakh、TaNaKh)」と呼びます。ミクラーとは「朗読すべきもの」という意味があります。また、タナハは、旧約聖書をトーラー(Torah:律法)、ネビイーム(Nevi’im:預言者たち)、ケトゥビーム(Ketubim:諸書)という3つの部分に区分し、それぞれの頭文字を並べてこれに補助母音を付けた名称です。

ユダヤ教の聖書がなぜキリスト教の聖書とされたのか
イエス・キリストも彼の弟子たちもユダヤ人として旧約聖書に通じていましたが、十字架にかけられたイエスをメシア(=キリスト)と信じた弟子たちは、次第にユダヤ教からたもとを分かっていきましたが、ユダヤ教の聖書は受容しました。その理由は、メシアを待望する預言(→メシア預言)をはじめ、旧約聖書に記された内容の数々はイエス・キリストにおいて成就した、と彼らが信じたことにありました。そして、後に成立した新約聖書と区別して、これを旧約聖書と呼ぶようになりました。

ユダヤ教の聖書がキリスト教に受容されることにより、旧約聖書に伝わる思想の多くもキリスト教へと引き継がれました。唯一神観、自然観、歴史観、人間観など、キリスト教思想の多くは旧約聖書にさかのぼります。また、ユダヤ教やキリスト教を介して、旧約聖書の物語や思想はイスラム教にも受け継がれました。初期のイスラム教徒が自分たちを創世記に記されるアブラハム(アブラム)の子孫と理解したことなどは、その一例です。

旧約聖書を残したイスラエルの民は、紀元前1200年前後にパレスチナ(地中海東岸の歴史的シリア南部の地域的名称で、パレスチナにはペリシテ人が住んでおり、パレスチナという言葉はペリシテという言葉がなまったものと考えられている)に定住した弱小の一民族でした。紀元前1000年頃に王国に移行した後も、彼らは弱小の民であるがゆえに、南のエジプトと東のメソポタミアに興ったアッシリアやバビロニアといった大国のはざまで翻弄され続けました。国を失ってバビロン捕囚(新バビロニアの王ネブカドネザル2世により、ユダ王国のユダヤ人たちがバビロンをはじめとしたバビロニア地方へ捕虜として連行され、移住させられた)となったのは紀元前6世紀初めですが、捕囚から帰還した紀元前6世紀後半からは、ペルシア帝国の一属州になり、ペルシア滅亡後には、エジプトのプトレマイオス朝の、またシリアのセレウコス朝支配下に組み込まれました。

旧約聖書に記された最も新しい時代は、マカベア戦争と呼ぶ、ユダヤの民がセレウコス朝からの独立戦争に蜂起した紀元前2世紀前半(紀元前166年~紀元前142年)です。その後、独自の王政が敷かれた時期もありますが、紀元後70年、反ローマ独立戦争に敗れたユダヤの民は故地を失い、世界に散在する民(ディアスポラ)となるのです。

古代イスラエルのこのような歴史の中で、旧約聖書は書き記されました。そして、それが、ユダヤ教成立の基礎となり、キリスト教誕生の土壌となり、イスラム教にまで浸透しました。当時の古代オリエントの強大国に翻弄され続けた弱小の民が残した旧約聖書は、こうして、その後の宗教の歴史に計り知れない影響を及ぼすことになりました。

旧約聖書の原文は、古代イスラエルの民が日常的に用いていたヘブライ語(一部はアラム語)で記されています。これを今日に伝えたのはユダヤ教の学者たちでした。それに対して、ローマ世界からヨーロッパ全域に広まったキリスト教は、ながらく、紀元前2世紀に訳されたギリシア語訳旧約聖書を、さらにはラテン語訳旧約聖書を重んじてきました。そこにはヘブライ語聖書にはない書物がいくつも加えられました。それらは日本語で「旧約聖書続編」と呼ばれますが、キリスト教の教派によって、その位置づけは異なります。例えば、カトリック教会はこれを旧約聖書に含めますが、プロテスタント諸派は聖書に含めていません。

参考:物語としての旧約聖書(上)月本昭男 著

詩編119編105節
あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。
✞ ヨハネによる福音書5章39節
あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。 
✞ ローマの信徒への手紙15章4節
かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。 
✞ ガラテヤの信徒への手紙3章22節
しかし、聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めたのです。それは、神の約束が、イエス・キリストへの信仰によって、信じる人々に与えられるようになるためでした。
✞ テモテへの手紙二3章16節
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。

聖書は、キリスト教の「正典」(せいてん)とされています。「正典」という言葉は、ギリシア語の「カノン(kanōn)」から来ており、「定規、基準、規範」などの意味があります。

また、聖書は約1600年の時をかけて、すべて神の霊の導きの下に、様々な時代の何人もの人たち(40数名)が書き記したものです。前半の約四分の三が「旧約聖書(the Old Testament)」、残りの約四分の一が「新約聖書(the New Testament)」と呼ばれ、「旧約聖書」は39巻(カトリック聖書は46巻)、「新約聖書」は27巻の合計66巻の書物が集まり、一冊となっています。
また、「旧約」「新約」の「約」は「契約」という意味です(「訳」ではない)。

旧約聖書の原典「ビブリア・ヘブライカ・シュトットガルテンシア」(㊟最初の原本はまだ発見されていませんので、正確には「写本」です)は、「ヘブライ語」と「アラム語」で書かれています。そして、「新約聖書」の原典「ネストレ・アラント/ギリシア語新約聖書」(㊟最初の原本はまだ発見されていませんので、正確には「写本」です)は、「ギリシア語」で書かれています。「旧約聖書」は、もともとユダヤ教の正典であり、ユダヤ人の言葉である「ヘブライ語」と「アラム語」で、また「新約聖書」は、キリスト教が最初に広まったローマ帝国の人たちが話す「ギリシア語」で書かれています。

神様の貴重な知恵の宝庫である聖書を読み学ぶ上で、一番大切なことは、「ここに書かれていることは、神様が一体何を私たちに伝えようとしているのか」を考えることです。
歴史的事実や記述内容の調査、検証も大事ですが、それより、そこに示された神様の真の思い(メッセージ)を自分の頭と心で考え、感じ、少しでも理解することです。

大事なことは聖書に記してあることから「真理」をつかむことです。
聖書を読むことによって、私たちは神に目を向け、神の導きを知り、何かを発見し、神に対する信頼を持つことができます。聖書に記された、昔も今も変わらない神様のメッセージをとらえることを目指しましょう。

わたしはすべての山に道をひらき/広い道を高く通す。(イザヤ書49章11節)

あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。(ヨハネによる福音書8章32節)

聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。(テモテへの手紙二3章16節)