植物に感謝せよ

植物に感謝せよ

植物は人間がいなくても少しも構わずに生活するが、人間は植物がなくては一日も生活することができない。

・・・・世界に人間ばかりあって植物が一つも無かったならば「植物と人生」という様な問題は起りっこがない、ところが其処に植物があるので茲(ここ)に始めてこの問題が抬起(たいき)する。人間は生きているから食物を摂らねばならぬ、人間は裸だから衣物を着けねばならぬ。人間は風雨を防ぎ寒暑を凌(しの)がねばならぬから家を建てねばならぬので其処で始めて人間と植物との間に交渉があらねばならぬ必要が生じて来る。右の様に植物と人生とは実に離すことの出来ぬ密接な関係に置かれてある。人間は四囲の植物を征服していると言うだろうが又之れと反対に植物は人間を征服していると謂える。そこで面白い事は、「植物は人間が居なくても少しも構わずに生活するが人間は植物が無くては生活の出来ぬ」事である。そうすると植物と人間とを比べると人間の方が植物より弱虫であると謂えよう、つまり人間は植物に向こうてオジギをせねばならぬ立場にある。衣食住は人間の必要欠くべからざるものだが、その人間の要求を満足させてくれるものは植物である。人間は植物を神様だと尊崇し礼拝しそれに感謝の真心を捧ぐべきである。我等人間は先ず我が生命を全うするのが社会に生存する第一義で、即ち生命あってこそ人間に生まれ来し意義を全うし得るのである。生命なければ全く意義がなく、つまり石ころと何の択(えら)ぶ所がない。その生命を繋(つな)いで、天命を終るまで続かすには先ず第一に食物が必要だが、古来から人間がそれを必然的に要求する為めに植物から種々様々な食物が用意せられている。チョット街を歩いても分り又山野を歩いても分るように、街には米屋、雑穀屋、八百屋、果物屋、漬物屋、乾物屋などが直ぐ見付かる。山野に出れば田と畠とが続き続いていろいろな食用植物が実に見渡す限り作られて地面を埋めている。その耕作地外では尚食用となる野草があり、菌類があり木の実もあれば草の実もある。眼を転ずれば海には海草があり淡水には水草があって皆我が生命を繋ぐ食物を供給している。食物の他にはさらに紡績、製紙、製油、製薬等の諸原料、又建築材料、器具材料などがあって吾人(ごじん:私)の衣食住に向って限りない好資料を提供しているのである。そこで吾人は此れ等無限の原料を能(よ)く有益に消化応用する事によって所謂(いわゆる)利用厚生の実を挙げ幸福を増進する事を得るのである。

日本の植物学の父、牧野富太郎「第二部 牧野混混録」より

牧野 富太郎:1862年5月22日(文久2年4月24日)~1957年1月18日、日本の植物学者。
高知県高岡郡佐川町出身。多数の新種を発見、命名した近代植物分類学の権威。その研究成果は50万点もの標本や観察記録。「牧野日本植物図鑑」等、多数の著作がある。小学校中退でありながら65歳で東京帝国大学から理学博士の学位も得て、生まれた4月24日は「植物学の日」に制定された。
(写真・経歴:ウィキペディア「牧野 富太郎」)

お前たちの周囲に残された国々も、主であるわたしがこの破壊された所を建て直し、荒れ果てていたところに植物を植えたことを知るようになる。主であるわたしが、これを語り、これを行う。 (エゼキエル書36章36節)