あらゆる試練に対して、神は助けを準備しておられる。・・・もしわたしたちが神のみ言葉を行っていれば、境遇がどうであっても、導き手である案内者があり、どんな困惑に遭遇しても確かな相談相手があり、どんな悲しみ、死別、孤独の中にあっても、わたしたちには同情深い友人がいるのである。知らずに過失を犯した時も、救い主は、わたしたちを見捨てられない。わたしたちは決して孤独を感じる必要がない。わたしたちの友は天使であり、キリストがみ名によって送ると約束された慰め主は、わたしたちと共に宿られるのである(「ミニストリー・オブ・ヒーリング」より抜粋)。
神は、わたしたちが傷つき破れた心をもって、無言の悲しみに圧倒されるままに放置しておかれない。神はわたしたちに、目をあげて、愛のやさしいみ顔を見るように望まれる。聖なる救い主は、涙で目がくもって、主を見分けられない多くの者のそばに立たれる。主はわたしたちの手をにぎり、単純な信仰をもって主を見るようにと、また、わたしたちが主に導いていただきたいと願うようになることを望んでおられる。主のみ心は、わたしたちの苦しみ、悲しみ、試練にむかって開かれている。主は永遠の愛をもってわたしたちを愛し、わたしたちを慈愛をもって囲まれる。わたしたちは主のことを心に思いつづけ、一日中、その慈愛をめい想することができる。主は魂を、日ごとの悲しみと困惑の上に引きあげ、平和の国に入れられるのである(「祝福の山」より抜粋)。