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アーカイブ 三田聖書研究会のあゆみ

各教会には様々な歴史や個性があります。二つのアーカイブをそのまま紹介します。これらの歴史が今の教会の礎となり、また、これらの記録を読むと、三田キリスト教会(聖書研究会)の力強い魂(精神)や結束力を垣間見ることが出来るのは私だけではないと思います(土師 萌)。

申命記6:5
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。

三田聖書研究会のあゆみ 三田聖書研究会 責任者 辻隆一郎

94年7月に母なる有野台教会から三田へ挿し木されて10年、ヨチヨチ歩きだった私達もいつの間にか小学校4年生になりました。

11年前、有野台教会の教課研究グループにデイスカッションクラスがもたれていました。その頃は盛んに小グループ活動の研究が教会内で叫ばれていた頃です。小グループの良い点を活かして、大阪のベッドタウンであり人口増加率日本一の三田に、主が許して下されば教会を建てさせて頂きたいという夢を信徒伝道会と安息日学校の小グループで語り合いました。94年の第1期教課研究は「ヨシュア記」であったと記憶しています。「モーセに告げたとおり、私はあなたたちの足の裏が踏む所をすべてあなたたちに与える。荒れ野からレバノン山を越え、あの大河ユーフラテスまで、ヘト人の全地を含み、太陽の沈む大海に至るまでが、あなたたちの領土となる」(ヨシュア1:3、4)。この”み言葉”は過去のものではなく、現代に住む私達一人一人への主の投げかけでもあります。信仰を持って未知の土地へ行き、主の砦を築きなさいという召しが、有野台教会に与えられたと信じています。「神様、三田に拠点を与えてください。20人くらいの人々が集まれて、駐車場も十分にある家の教会を与えてください。」と祈って与えられたのが現在の辻宅です。引っ越したのが94年の3月、そして有野台教会牧師の指導のもと、同年7月に念願の三田聖書研究会が15名程でスタートしました。三田聖書研究会の理念は小グループの実践でした。小グループ実践の主な推進力として祈祷会を通して霊性を向上させていくこと、連絡網を利用してメンバーの横のつながりを育てていくこと、教会では一人一人が何らかの責任を担うということでした。そうした努力がすこしずつ実を結び、今日まで8名のバプテスマが与えられました。拠点はその後、広野市民センター、青野ダム記念館、そして現在の下深田に教会堂を設立して移り、メンバーも15名から今では多い時で27名(子供含む)までに成長してきました。礼拝には、有野台教会から次々に説教者が来て下さっておりますことは大きな励ましです。グローバルミッションの予算を使わしていただき、レストランでの珍しい有料の伝道講演会やクリスマスコンサートを持つことが出来、貴重な体験を積むことが出来ました。春は花見、秋は修養会も持たせて頂きました。小さな歩みをいつも温かく見守って下っている牧師先生はじめ有野台教会の皆様に心から感謝申し上げます。

以上

この10年を振り返って 三田聖書研究会 谷畑洋子

1995年7月に神戸有野台教会から15名の方々が、三田で聖書研究会を辻宅で始められました。初夏のころ、安息日にいつも車を駐車させて頂いていた広場が急に使用できなくなり、私達三田の小さな群れは集える場所を求めてみんなで祈りしました。辻(当時の責任者で、教会ではこのような立場にある人を”長老”と呼んでいる)宅での安息日も来週で終わりというとき、一人の姉妹が歩いて三田市役所や広野駅の方まで探し求めた結果、新しくオープンしたばかりの広野市民センターが与えられました。「求めよ、そうすれば与えられるであろう、探せ、そうすれば見出せるだろう」マタイ7:7。 このように御言葉を信じたときに神様は最も必要な時によい場所を与えてくださいました。駐車場も広く、暖かい感じの会議室、昼食はまるで料亭のような静かな広い和室が使用できました。安息日の午後は聖書研究や預言の声、又健康体操など、楽しくて安息日が待ち遠しく思い、いつも感謝で一杯でした。1年も経つと広野市民センターも有名になり利用される数が段々と増えてきて私達は使用できなくなりました。その頃、三田に教会をとの願いが盛り上がり積み立てを開始することにしました。三田は少人数ですので有野台教会の皆さんも支えて下さり着実に積み立てられていきました。新しい土地を求めて熱心に祈りました。

もう桜も散り始めたころ、青野ダム記念館が私たちの新しい集いの場として備えられました。2階の会議室や和室からの眺めは、まるで天の国かエデンの園を思わせる四季折々の美しい場所でした。お礼拝に来てくださる有野台の方々や他教会からのお客様も、こんなに美しい礼拝の環境は見たことがないですねとよく言って下さいました。私達は感謝でした。この場所が私たちの教会だったら良いのにねと皆言っていました。広野市民センターや青野ダム会館は年に3,4回は市の行事があるため会場が使用できなくなり他の会場を探し求めました。移動の時は教会で必要な大きな荷物を車に積んでいきます。これが一番の苦労でした。

洗足聖餐(せんそくせいさん)式、バプテスマ式、信徒礼拝の時はいつも有野台教会でお世話になり、教会の方々もいつも暖かく迎え入れて下さって、感謝の気持ちで一杯でした。三田の教会建設積立金も有野台の方々のお力を頂いて2000万円近くになりました。三田の教会を建てるのに一筋の光を見出した思いがしました。土地、建物を求めて安息日ごとに皆熱心にお祈りをしました。

師走の最後の安息日、私達は悪い知らせを聞かなくてはなりませんでした。年明け早々青野ダム会館を閉鎖するとの事、私達は身も心も凍る思いでした。お正月の礼拝は有野台へ皆で行きました。すると有野台教会を建設する話で喜びに満ちておられました。私達三田は、あと2ヶ月で行くところがなくなってしまうという不安の中で、作り笑顔さえ出来なくなっていました。「恐れるな小さな群れよ、御国を下さることはあなた方の父の御心なのである」ルカ12:32。とても力強く思いました。もう一ヶ月で私達は流浪の民とならなければなりません。皆さん、車を運転しているとき、教会にふさわしいと思われ場所があればすぐに知らせて下さいと長老が訴えられました。いよいよ今月で青野ダム会館ともお別れかと思うと、いろいろなことがあったなーと考えてしまいました。次の安息日の朝、神様から一枚の広告が与えられました。捨てるのも広げてみるのもあなた方が選びなさいと。私達はまずお祈りをしました。どうぞ神の御心のままに導いてくださいと短いお祈りでした。三田市の街の中、車15台、30人くらい集える場所でした。私達は1月から苦難の中にありましたが、神様はピリピ4:4にあるように、「主にあっていつも喜びなさい」と言われる聖句には神様の計画と深い愛を感じました。 (作成日付不明)