エルサレム攻囲戦

AD70年4月14日、エルサレムにおいてユダヤ属州のユダヤ人と後にローマ皇帝(在位:79~81年)となるティトゥス(ラテン語:Titus)が率いるローマ軍の間に起きた攻囲戦(攻城戦)である。

これによりローマ軍は、エルサレムを陥落、市街地のほか、BC1世紀末にヘロデ大王によって増修築された、聖地エルサレム神殿(印)も破壊した。

一部のユダヤ人はマサダ砦に逃れ、73年に玉砕するまで戦い続けた。

このローマ帝国との攻囲戦で国を失ったユダヤ民族は各地に離散した(ディアスポラ※1)。

そして、神殿が崩壊した日は、ユダヤ教とユダヤ人の歴史の中で、

「民族の悲劇の日」とされ、「ティシュアー・ベ=アーブ」と呼ばれる悲しみの記念日とされている。

図:当時のエルサレム市街。〇がエルサレム神殿、青の矢印がローマ軍の攻撃の経路。

※1:ディアスポラDiaspora(民族離散)は、「(種などが)撒き散らされたもの」(ディア[分散する]+スピロ[種をまく])という意味のギリシア語に由来する言葉です。
①中世以降ドイツ、次いで東欧に移住し、ナチスのホロコーストの犠牲になった「アシュケナジム」や②スペイン、北アフリカなどに移住した「セファルディム」は有名である。
同じ意味で、③華僑、印僑、日本人のディアスポラ(日系人)などにも使われている。
また、ディアスポラは、元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティ等も指すようにもなった。

参考・出典(左図):ウィキペディア「エルサレム攻囲戦」他

イザヤ書30:13
この罪は、お前たちにとって/高い城壁に破れが生じ、崩れ落ちるようなものだ。崩壊は突然、そして瞬く間に臨む。