150 「ムナ」のたとえ
ルカによる福音書19:11~28、マタイ25:14~30(「タラントン」のたとえ)

11人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。
( イエスがエリコから)エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れる(→明らかにされる、あらわにされる)ものと思っていたからである。
→ある者はダビデのような地上での偉大な王がローマや異邦人諸国の圧政を打ち破り、イスラエルの土地と民の自由を奪還する、また、ある者は神の国が到来するときには全世界が変えられると考えた。
弟子たちも、他の人々と同じ認識を持ち、更に自分たちは戴冠式に向かう王の行列に参加していると誤った認識を持っている。

天は二物を与えず GOD does not give two Gifts.

人は皆それぞれ、異なった能力を神様から与えられている。その与えられた能力に感謝し、他人と比較するのではなく、それを磨き、使いこなすことによって、その人がより豊かになるように、神様は整えてくださっている。

他人の能力をうらやみ、自分の能力を探求しようとせず、放置したままにいると、その能力はだんだんとやせ衰えてしまう。神様から与えられた能力を使いこなし、磨きをかけることが、他の能力にも良い波及効果をもたらし、複数の才能を開花させるのである。

「天は二物を与えず」というが、一物は必ず誰にも与えられている。それを二物にも三物にもするか、それとも一物さえ失ってしまうかは、私たちの心の態度、心がけ次第なのである。

エネルギーは意識を向けられる方向に流れる。御言葉を素直に受け入れ、大切に思い、それを心の中に持つ人は、更に神の言葉が与えられるのである。そして、感謝の習慣を持つ者が神を喜び、同時に、神もその人を喜び、更に祝福されるのである。

また、霊的な賜物が与えられるのは、神の栄光のためであって、私たちの栄光のためでないことも忘れてはいけない。神の御名を高め、み働きを推進させるために、神は霊的な賜物を私たちにお与えになったのである。