三浦 綾子

三浦 綾子

1922年4月25日~1999年10月12日、北海道旭川市出身。1939年、旭川市立高等女学校卒業。その後歌志内町・旭川市で7年間小学校教員を務めたが、終戦によりそれまでの国家のあり方や、自らも関わった軍国主義教育に疑問を抱き、1946年に退職。この頃、肺結核を発病する。1952年に結核の闘病中に洗礼を受ける。
1959年に旭川営林局勤務の三浦光世と結婚。

1963年に朝日新聞社の小説公募に小説『氷点』を投稿し入選、賞金は1000万円だった。当時(S38年)、公務員の基本給17100円だった時代である。

生まれ故郷である北海道旭川市には、ボランティアや寄付により運営されている三浦綾子記念文学館がある。

三浦綾子のことば
「私たちは、毎日生きています。誰かの人生を生きているわけではないのです。自分の人生を生きているのです。きょうの一日は、あってもなくてもいいという一日ではないのです。もしも、私たちの命が明日終わるものだったら、きょうという一日がどんなに貴重かわからない。」

「言葉を交わすことによって私たちは、勇気づけられ、慰められ、喜びを与えられます。と、同時に、人を傷つけ、見下すという愚かな過失も犯します。
言葉は人間の運命をも変えるほど大きなものです。」

写真:教文館『月刊キリスト』1月号(1966)より

副題:人は人を本当に赦せるか/真の祈りは聞かれる

声でつづる昭和人物史~三浦綾子(NHKラジオ 2018年11月19日、11月26日放送)

「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい
そうすれば、あなたがたも赦される。」(ルカによる福音書6章37節)