マリア人

サマリア(Samaria)は、パレスチナ中央部の地域名で、北にガリラヤ、南にユダヤが接する。「列王記」によると、サマリアという名前は昔この辺の土地を持っていた地主「シェメル/セメルShemer」の名前が起源とされる。

▶列王記上16:23~24には、次のように記されている。
ユダ(南王国)の王アサの治世(BC911~870/913~873)第三十一年に、オムリが(北)イスラエルの王(BC885~874/876~869)となり、十二年間王位にあった。彼は六年間ティルツァで国を治めた後、シェメルからサマリアの山を銀二キカル(約34㎏/キカル×2=約68㎏、Ag80円/g×68㎏≒544万円)で買い取り、その山に町を築いた。彼はその築いた町の名を、山の所有者であったシェメルの名にちなんでサマリアと名付けた
→オムリ:列王記に記されている以上に実際には王として成功を収めた(列王記16:21~27)。モアブを支配し、息子の婚姻を通してシドンと同名を結び(16:31)、サマリヤを築いて首都とした。しかし、この卓越した政治力も信仰の面では発揮されなかった(16:25~26、ミカ書6:16)。

その後この辺り周辺が北イスラエル王国の首都となったため、都市に限らずにこのあたりの地域やもっと広く北イスラエル王国そのものを指すようになった。

BC722 年、北イスラエル王国は、アッシリアに滅ぼされ属領(住民を奴隷として連れ去り-アッシリア捕囚、代りにメソポタミア北部-チグリス川とユーフラテス川の上流域-のアッシリア人、アラム人を移住させた)となる。この移住してきた異民族と混血したのがサマリア人で、以後長く異教徒としてユダヤ人に排斥された。

サマリア人はゲリジム山(申命記11:29)に神殿を持っていて、祭司もおり、また、独自の解釈をしていた(ルカによる福音書10:25~37)ので、ユダヤ人はサマリア人をイスラエルの神に忠実でないと考えていた。

【参考】 新約聖書にある「サマリア人」
(旧約聖書では、列王記下17:29のみにサマリア人が登場する)