1926年5月24日の十勝岳噴火とそれに伴う火山泥流にまつわる物語を描く。
ぜひ、読んでほしい小説です。

続 泥流地帯 三浦綾子 P.422~423より・・・・・・
「それは俺たちには、わからないけどさあ。吾々人間の頭では計り知ることのできない何かが隠されているんじゃないのかなあ。ねえ、母さん。母さんは教会に住みこんでいたから、いろいろ聞いているだろうけどさ」
今まで黙って、三人の話を聞いていた佐枝が言った。
「ええ、母さんもね、これはいろいろ考えたことだし、お話しも聞きましたよ。母さんに話してくれた牧師さんはねえ、『神は愛なり』って。そのことだけを信じていたらいいって」
「神は愛なり?」
修平は驚いたように言った。
「ええ」
「じゃ、どうして災難を下すんだ、嫂(ねえ)さん」
「修平さん、わたしには上手に説明できませんけどね。今、拓一が言ったように、人間の思いどおりにならないところに、何か神の深いお考えがあると聞いていますよ。ですからね、苦難に会った時に、それを災難だと思って歎(なげ)くか、試練だと思って奮い立つか、その受けとめ方が大事なのではないでしょうか
「しかし、正しい者に災があるのは、どうしてもわかんねえなあ」
修平が呻くように言った。と、拓一が言った。
「叔父さん、わかってもわかんなくてもさ、母さんの言うように、試練だと受けとめて立ち上がった時にね、苦難の意味がわかるんじゃないだろうか。俺はそんな気がするよ」

明るい朝だった。耕作も深くうなずいた。・・・・・・・

以下、三浦綾子記念文学館 ミニ資料集より


三浦綾子(1922年4月25日~1999年10月12日)
北海道旭川市出身。1939年、旭川市立高等女学校卒業後、7年間、小学校の教員を務めたが、終戦によりそれまでの国家のあり方や、自らも関わった軍国主義教育に疑問を抱き、1946年に退職。この頃、肺結核を発病する。結核の闘病中に洗礼を受けた後、創作に専念する。