

コロサイ書1章においてパウロは、キリストの十字架による「和解」を、宇宙的規模から個人的次元へと展開している。罪によって神の命the life of Godから疎外され、心において敵対していた人間を、神ご自身がキリストの死を通して和解へと招かれたのである。和解は人間の努力によるものではなく、信仰を通して与えられる神の一方的な恵みであり、その最終的な目的は、信じる者を聖く、傷のない者として神の前に立たせることにある。
この救済は、「世々にわたって隠されていた秘められた計画」の実現でもある。その内容は、「あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望」という言葉に集約される。すなわち、キリストが信仰によって信者の内に住まわれ、今すでに新しい命と将来の栄光の保証を与えておられるという事実である。この計画は、キリストの生と死と復活によって明らかにされ、異邦人をも含むすべての人に等しく開かれた。パウロは同時に、信仰に「ゆるぐことなく、しっかり踏みとどまる」ことの重要性を強調する。救いは確かな約束であるが、それは生きた信仰にとどまり続ける中で経験される。したがって、信仰生活は一度きりの出来事ではなく、日々キリストに自らを委ね、福音の希望から離れない歩みである。またパウロは、自身の苦難を福音の前進と教会の益のための喜びとして受け止めている。彼の働きは、天地創造以前から定められていた神の大いなる救済計画の一部であり、その使命は神の言葉を余すところなく伝えることであった。最終的にパウロの宣教の焦点は、「すべての人がキリストにあって成熟した者となる」ことである。教えと警告を通して真理にとどまり、偽りを識別し、キリストの義に生きるとき、信者は成長し、神の栄光を現す者とされる。救いの唯一の希望は、キリストの義であり、聖霊の働きによって内面から新しくされ続けることにある。
