人間の激情の激しい風

私たちは、キリストの愛の力によって罪や悪から離れ、イエスさまにしがみつくように強くつながっていることが肝要です。そして、神さまへの信頼と信仰が更に強化されるのは、毎日の生活においてです。例えば、家庭や職場、或いは教会や学校で、私たちの抑えようとしている憤りや苛立ちが、言葉や行動だけでなく、顔の表情や声のトーンに、滲み出てくるようなことはないでしょうか。そのような時、私たちは相手を責めたり、周囲の状況などのせいにすることが多々あります。そのような時こそ、自分の力ではなく、人生の嵐や心の中の激情を静めてくださることがお出来になる救い主に、全面的に頼るという信仰を働かせるチャンスなのです。信仰は身体の筋肉と同じで、使えば使うほど強くなりますから、人間関係で生じる問題やチャレンジは、すべて“信仰のトレーニング”として神さまに感謝すべきなのです。苛立ちや怒りを感じた時、聖霊の御声に従って直ちにイエスさまに頼れば、瞬時にではないかもしれませんが、やがて心の激情は静まり平安が与えられます。この経験を積みかねていくことが聖化です。しかし、聖霊の働きを拒み続け、心の激情との戦いをイエスさまに委ねないで感情に流されるままでいるということは非常に危険です。何故ならば、このような私たちの心の状態を、私たちのイエスさまが悲しんでおられるからです。それともう一つ、ノアの箱舟の時のように、まもなく恵みのドアーが閉じられるからです。キリストが聖所を出られて恩恵期間が閉じた後には、「人間の激情の激しい風」が神の天使たちによって解き放たれることが証の書(サイト管理者㊟:「あかしのふみ」と読み、当教団が発行している書籍の総称で、聖書の注解書です)に記されています。この「人間の激情の激しい風」こそが、黙示録 7 章 1 節の四人の天使たちが引き止めている四方の風で、その風が解き放たれる時が、全世界に「争いの諸要素がことごとく解き放たれる」時なのです。ですから私たちは、心の激情を静めて下さるイエスさまへの確固不動の信仰を、今、培っておかなければ、その時では遅すぎてしまい、自分でも驚くほどの恐ろしい激情に支配されてしまうことになります。

出典:聖書研究ミシガン『真夜中の叫び』第5部12章「最終章:生きたまま救われる人々」