51 山上の説教(垂訓)

マタイによる福音書5:1~2 山上の説教(5~7章)を始める(序文)
←時代背景:十二使徒の選抜直後

イエスはこの群衆を見て、山に登られた腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた(→真実を解き明かされた)。
→マタイによる福音書では、イエスは、教え、祈り、一人になる目的でしばしば山に登られたことが記されている(14:23、15:29、17:1~2、24:3、28:16)。これは、モーセがシナイ山に登ってイスラエルの民に教えるべきことを神から学んだのに似ている(出エジプト記19章)。

また、当時は、教師(ユダヤ人教師)は教えるときに座って教えるのが常であった。

㊟山上の説教が語られたのは、まだ旧約の律法の時代であった(イエス・キリストの十字架の死によって、新約時代が始まる)。

【参考】 エレミヤ書31:31~33(旧い契約と新しい契約の預言)
見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだもの(→モーセ契約、シナイ契約)ではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、(聖霊によって)彼らの(の板)にそれを記す(→キリストの律法:イエス・キリストの十字架の死から新たに始まる、新約時代(=恵みの時代)における律法の正しい解釈→ガラテヤの信徒への手紙6:2)。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。