036 罪を赦すことで見せた権威(ルカによる福音書5:17~26)
(中風の人をいやす マタイによる福音書9:1~8、マルコによる福音書2:1~12)

17ある日のこと、イエスが教えておられると、❶ファリサイ派の人々と❷律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、⓵ガリラヤとユダヤのすべての村、そして⓶エルサレムから来たのである。主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた
→場所:カファルナウムのペトロの
→数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、におられることが知れ渡り、(マルコによる福音書2:1)
→And again He entered Capernaum after some days, and it was heard that He was in the house. (NEW KING JAMES VERSION)

18すると、男たちが中風(ちゅうぶ:脳出血などによって起こる、半身不随、手足のまひなどの症状)を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。
Some men came carrying a paralyzed man on a mat and tried to take him into the house to lay him before Jesus.(NEW INTERNATIONAL VERSION)
→Then behold, men brought on a bed a man who was paralyzed, whom they sought to bring in and lay before Him. (NEW KING JAMES VERSION)
四人の男が中風の人を運んで来た(マルコによる福音書2:3)。
Some men came, bringing to him a paralyzed man, carried by four of them.(NEW INTERNATIONAL VERSION)
→Then they came to Him, bringing a paralytic who was carried by four men. (NEW KING JAMES VERSION)

19しかし、群衆に阻(はば)まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上ってをはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。
→粘土で出来た瓦(異邦人の影響を受けたタイル貼りの屋根もあった)

20イエスはその人たち(→男たちと中風の人)の信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」“Friend, your sins are forgiven.”(NIV)/ “Man, your sins are forgiven you.(NIKV)”と言われた。
→「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」(マタイによる福音書9:2)
→“Son, be of good cheer; your sins are forgiven you.” (NIV,NKJV)
→「子よ、あなたの罪は赦される」(マルコによる福音書2:5)
→“Son, your sins are forgiven.” (NIV)/“Son, your sins are forgiven you.” (NIKV)
→この中風の男性は何らの罪悪感を抱えており、その結果、病になったと思い込み苦しんでいたのをイエスは気づかれた(→自分を許せない「罪責感」が原因となる「病」がある)。このような考え方は当時一般的なものであり、罪悪感は時として、肉体の苦しみ以上に辛いことでした。そこでイエスは、まずこの男性からその罪悪感の苦しみを取り除いてあげたいと思われた。

21ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた(→彼らの心は怒りで煮えくり返っていた)。「神を冒瀆するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」

22イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。「何を心の中で考えているのか。

23『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
→この中風の男性は何らの罪悪感を抱えており、その結果、病になったと思い込み苦しんでいたのをイエスは気づかれた(→自分を許せない「罪責感」が原因となる「病」がある)。このような考え方は当時一般的なものであり、罪悪感は時として、肉体の苦しみ以上に辛いことでした。そこでイエスは、まずこの男性からその罪悪感の苦しみを取り除いてあげたいと思われた。しかし、イエスのお考えはこの男性のみに向けられたのではありませんでした。イエスは、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」(24節)と言われました。つまり、この中風の男性の罪の赦しを通して、全人類に対して、ご自分は罪を赦す権威があることを示されたのです。それは、ご自分の命に代えて罪を赦すわけですから、「起きて歩け」と言うほうが断然易しいのです。
以前は、「罪は赦された」と言う方が易しいと思っていました。しかし、イエスにとって奇跡はからし種一粒ほどの信仰があれば十分なことなのです(マタイによる福音書17:20)。それに対して、罪を赦すとは、自分の命を捨てることはもちろん、父なる神から断然されることを意味していました。そのためゲツセマネの祈りでは、「わたしは死ぬばかりに悲しい。」(マタイによる福音書26:38、マルコによる福音書14:34)といい、「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」(マタイによる福音書26:39)と、血のしたたりのような汗を流しながら祈られたのです(イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。=ルカによる福音書22:44)。
十字架上での、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイによる福音書27:46、マルコによる福音書15:34)という叫びの中に、その苦しさがすべて現れていると思います。
イエスが口先だけで「罪は赦された」と言うことはないと考えると、罪を赦すことが、どれほど大きな困難を通らされることになるのか、イエスは充分に理解していたのだと思います。

24人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。
→最初に「罪の赦し」(20節)があり、そして次に「病(肉体)の癒し」がある。

25その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。

26人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、「今日、驚くべきことを見た」と言った。

【参考】 イエス時代のイスラエルの家
祭司などの上流階級の人たちは、粘土の瓦(異邦人の影響を受けたタイル貼り)で出来た屋根、いくつもの部屋、そして広い中庭などを持つ、大きな家に住みましたが、一般の人たちの家は、草を葺いた上に、藁などを粘土に混ぜて塗った粗末な屋根で簡易な造りでした。壁は、石積みや日干し煉瓦などで造られ、階段で屋上などに通じていました。
また、家畜はとても大切で、盗難の恐れもあったので、家の中で飼育されました。

出典(図):http://cojs.org