是非の初心忘るべからず20200204

9年前の今日、この聖句を読んでいました。

マタイによる福音書6:25~26
「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」
今も思い悩み、罪多きわたしですが、あの最澄はこんなことを言っています。
道心の中に衣食(えじき)あり、衣食の中に道心なし。
これは、真理を求める心に従って歩むなら、着る物や食べるものは自然に備えられる。
しかし、衣食だけを追い求める生活をするのならば、真理を追究することはできない、という意味です。
今日取り上げた聖句と同じようなことを言っている。
やはり、最澄は天才だ。
聖書は、こんなことも記している。
「あなたがたの天の父は、これらのものがみな あなたがたに必要なことをご存知である」と。
詩人ワーズワースのように「高き思想」を楽しもうとするなら、彼のように「低き生涯」を過ごさねばならない。
「草の輝くとき、花美しく咲くとき ふたたび それは還らずとも 嘆くなかれ。
その奥に秘められし 力を見出すべし」。
9年前(2011年)の今日の日記をそのまま、書き写しました。 2020.02.04 土師 萌