ポツダム宣言 Potsdam Declaration発表

1945年(昭和20年)7月26日、ドイツ東部、ベルリンの南西にある工業都市、ポツダムで、アメリカ、、イギリス、中華民国(のちにソ連も参加)が発した対日共同宣言。

トルーマン・アメリカ大統領、チャーチル・イギリス首相、スターリン・ソ連首相による三国巨頭会談で決定された後、蔣介石中華民国総統の同意を得て、米英中の三国首脳の名で発表された。ソ連は日ソ中立条約が有効期間中であったため、その時は署名せず、1945年8月8日の対日宣戦布告の後、この宣言に署名した。

日本に降伏を勧告し、戦後の対日処理方針を表明したもので、軍国主義の除去・領土の限定・武装解除・戦争犯罪人の処罰・日本の民主化・連合国による占領などを規定した。

日本政府ははじめ拒否したが、原子爆弾の投下(広島市:8月6日午前8時15分、長崎市:8月9日午前11時2分)、ソ連の参戦を経て8月14日これを受諾した。

日本において第二次世界大戦(太平洋戦争)が終結したとされる日については諸説ある。
(1)1945年(昭和20年)8月15日
正午からラジオで放送された玉音(ぎょくおん:天皇の肉声)放送により、前日に決まったポツダム宣言受諾及び日本の降伏が国民に公表された日。帝国政府が軍に武装放棄と連合軍への投降命令を発し、連合国もそれを受け戦闘を止めた。
(2)1945年(昭和20年)9月2日
日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日
(3)1952年(昭和27年)4月28日
日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効により、国際法上、連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日

箴言10:12
憎しみはいさかいを引き起こす。愛はすべての罪を覆う