070 種と毒麦のたとえ

マルコによる福音書4:26~29、マタイによる福音書13:24~30、マタイによる福音書13:36~43

▶「成長する種」のたとえ(マルコによる福音書4:26~29)
26また、イエスは言われた。
「神の国(→神の支配)は次のようなものである(→LB:神の国のたとえを、もう一つ話しましょう)。人が土に種を蒔いて、27夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。28土はひとりでに(→オートマトス:ギリシア語、口語訳・聖書協会共同訳:おのずから、新改訳:人手によらず)実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる(→LB:まず芽が出て、次に穂、そして最後に穂の中に実が入ります。)。29実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時(=世の終わりの時)が来たからである。」
→イエスは❶個人的な種蒔きから始めることを提唱(個人的救いと成長は、御言葉の種を蒔くことから始まる)した。そして、❷結果(生長、成長)は神に委ねると教えた。
→コリントの信徒への手紙一3:6~8
(パウロ)が植え、アポロが水を注ぎました(→パウロはコリントの教会を開拓し、アポロはその成長を助けた)。しかし、❷成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神なのです。植える者と水を注ぐ者は一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受けます。
→アポロは、ユダヤ人が多く住んでいたエジプトの大都市アレクサンドリアで育ち、聖書を熟知していた。→使徒言行録18:24、26、27、19:1、コリント信徒への手紙一1:12、3:4~6、22、4:6、16:12、テトスへの手紙3:13