安息日― 創造とあがないのしるし
安息日 各時代の希望 第29章の要点を整理してみました。
▶安息日は、創造の時に神によって聖とされた日です。天と地、そしてその森羅万象が完成したとき、神はその業を見て「良しとされた(極めて良かった)」とされ、喜びのうちに休まれた(創世記1:31~2:3)。安息日は単なる休息の日ではなく、神の力と愛のしるしとして、創造のみわざを記念するために与えられました。また、自然界の美しさや秩序を通して、われわれは神の永遠の力と神性を認識することができます(ローマ1:20)。鳥のさえずりや木々のざわめき、海のさざめきに耳を傾けるとき、わたしたちはエデンの園でアダムと語りあった神の声を今も聞くことができ、そこに慰めを見いだすことができるのです。詩編記者が「主よ、あなたはみわざをもって/わたしを楽しませられました。わたしはあなたのみ手のわざを喜び歌います。主よ、あなたのみわざは/いかに大いなることでしょう」と歌ったように、安息日は神の偉大なみわざを喜び感謝する日なのです(詩篇92:4~5a)。
▶また、安息日は人のために定められたものであり、「人が安息日のためにあるのではない」とイエスは明言されました(マルコ2:27)。すなわち、安息日を守ることの本質は、形式的な律法遵守ではなく、人の必要を満たし、愛とあわれみに従って行動することにあります。イエスは弟子たちが安息日に麦をつむ行為を行ったときも、これを正しい行いとされました。さらに、手のなえた人をいやすために安息日に行動されたときも、律法を破ることにはならないと教えられました(ルカ6:3~4、マタイ12:12)。人を救い、助け、慰める行為こそが、安息日の真の目的にかなっているのです。
▶安息日は律法の中で具体的に示されましたが、その起源はシナイ以前にまでさかのぼります。イスラエルの民は、エジプト脱出の途上で、既に安息日の知識を持ち、この日を守ることによって神との関係を確認しました(出エジプト16:28)。安息日は、イスラエルを偶像礼拝から離し、真の神の民として区別するしるしともなりました。信仰により聖なる者となることで、安息日は神の礼拝者である証となるのです。
▶安息日は形式だけで守るものではありません。律法を人間の利己的な考えで縛り付けたラビたちのように、安息日を規則に変えてしまうと、その本来の意義は失われてしまいます。イエスは、安息日を守ることが、人を神に近づけ、愛とあわれみを示す機会であることを明確に示されました。安息日は、神の愛と力のしるしであり、人を救いと慰めに導くために与えられた祝福の時なのです。
▶天と地が続く限り、安息日は創造主の力のしるしとして続きます(マタイ5:18)。新天新地においても、すべての人々は安息日を守り、礼拝の日として神の前に集うことでしょう(イザヤ66:23)。
安息日は、人のために与えられた神の贈り物であり、神との交わりを深め、神の愛とみわざを喜び感謝する日として、今も変わらず尊い日なのです。

