054 施し、祈り、断食(マタイによる福音書6:1~18)

ユダヤ人たちは、三つの敬虔(信心)、つまり①貧しい人たちへの施し、②祈りprayer、③断食の三つの行いが重要であると考えた。これに対して、イエスはこれらの善行をわざと目を引くようにして偽善を行わないように念を押した。

施しをするときには(マタイによる福音書6:1~4)
「見てもらおうとして、人の前で善行(→貧しい人たちに施しをすること。)をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときには、偽善者(=ヒュポクリテース:舞台で劇を演じる人、ひけらかす人)たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない(→ですから、人に親切にする時は、右手が何をしているのか左手でさえ気づかないくらいに、こっそりとしなさい。:リビング・バイブル)。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」

祈るときには(マタイによる福音書6:5~15)
祈るとき(→ユダヤ人は通常、神殿や会堂[シナゴーグsynagogue]で立って手を挙げ、人前で祈った。ひざまずいたり、地面に平伏したりして祈ることもあった。)にも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋(→宝物庫、貯蔵庫、日常と切り離された場所)に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
だから、こう祈りなさい。
『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、/天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧(=アルトス:パン[ギリシア語]、本日の糧、これからまさに来ようとする日の糧)を今日与えてください。わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、/悪い者から救ってください。』
もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」
→ファリサイ派は、一日に3回、集まって祈った。その動機は、人に見られるためで、そんな彼らのことをイエスは偽善者と呼ばれた。
→ユダヤ教徒は、祈祷書を用いて決められたことを祈っている。これに対して、イエスは自発的な祈り、心からの祈りを勧めた。
→絶えず祈りなさい。(テサロニケの信徒への手紙一5:17)

断食するときには(マタイによる福音書6:16~18)
「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。
あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」