潜伏キリシタンと隠れ(=カクレ)キリシタン
16世紀に日本に伝来したキリスト教は、九州を中心に多くの大名やその領民に受け入れられましたが、「潜伏」「隠れ」の背景には、国内における禁教の歴史(1614年に江戸幕府-徳川家康が全国に「キリスト教禁教令」を発布)があります。
「潜伏キリシタン」とは、禁教令が出た後も表面的には仏教徒を装いながら、キリシタン(カトリック信徒)であることを隠し続けた人たちです。当時、九州の一部の地域を中心に潜伏キリシタンは、指導者(司祭)が一人もいないなか、1873年(明治6年)、禁教が解かれるまで、密かに信仰を守り続けました。長崎県と熊本県の天草地方に残る12のキリシタン関連遺産から構成されるのが、2018年7月に世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」です。
一方、「隠れ(=カクレ)キリシタン」とは、禁教の高札が撤廃され、キリスト教が認められるようになった後も、教会(カトリック教会)に戻ることなく、潜伏期以来の儀礼や行事を守り続け、独自の信仰形態を続けた人たちを言います。
参考
ドイツのマルティン・ルターは、1517年に『95か条の論題』をヴィッテンベルクの教会に掲出、これを発端に、「ローマ・カトリック教会」から分離し誕生したのが「プロテスタント」です。
ここに、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である。 (ヨハネの黙示録14章12節)