セブンスデー・アドベンチスト三田キリスト教会(聖書研究会)

罪の意識と迫害の中に現れる神の愛

罪の意識と迫害の中に現れる神の愛

私たちは聖書を通して、自らの罪を悟るとき、ただ苦しみや絶望に沈むのではなく、そこに神の救いの御手が差し伸べられていることを知らされます。

詩編51:19に「しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません。」とあります。罪の意識は私たちをキリストの十字架へと導き、赦しと新しい命を与える恵みの出発点なのです。また、私たちが神に従おうとするとき、さまざまな迫害に遭うこともあります。

主は、「義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである」(マタイによる福音書5:10)と語られました。

迫害の苦しみの中でさえ、私たちは神の国(永遠の命)の希望に生きる者とされるのです。罪の自覚も迫害の試練も、すべては私たちを神の愛の内に深く根ざすために与えられた恵みの一つです。この愛の導きに信頼し、日々主の御前に歩んでいきたいと痛切に思います(土師 萌)。

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