セブンスデー・アドベンチスト三田キリスト教会(聖書研究会)

もういいわ症候群

もういいわ症候群

ドジャース大谷翔平投手(30)が22日(日本時間22日)、2年連続3度目のMVPを受賞した。大谷ファンにとっては喜ばしい出来事です。
しかし、こんな方もいらっしゃいますし、わたしも・・・。

なんだかな、大谷翔平「希望の星」に疎外感  [エッセイスト・酒井順子]

人生で最初に好きになった大相撲の横綱は、北の湖でした。

 ほぼ同時期に活躍していた横綱である千代の富士は、颯爽としたスポーツマンタイプ。対して、「憎たらしいほど強い」と言われていた北の湖は、ふてぶてしい存在感を放っていました。

 しかし私は、だからこそ北の湖のことが好きだったのです。皆に好かれる千代の富士よりも、憎まれながらも強くあり続ける北の湖の、その勝っても負けても変わらない表情の裏側から滲み出る人間味、のようなものにグッときていた。

 世の中には、私のような好みを持つ人が一定数、存在します。明るく爽やかな人気者に対しては興味が持てず、あまり人気のない、孤高の実力者に惹かれる人が。そして今、その手の感覚の持ち主たちは当然ながら、米大リーグの大谷翔平選手の扱いに、「なんだかな」という思いを抱いています。

 明るいニュースの少ない日本において、ほとんど唯一の希望の星となっている、大谷選手。その活躍ぶりは、毎日のようにニュース番組のスポーツコーナーでトップを飾っています。それどころか、全てのニュースの中でのトップ扱いになることも、珍しくありません。

完全無欠
私も大谷選手の活躍は、素晴らしいと思ってはいます。運動神経やセンスを持った人は世の中にたくさんいますが、大谷選手は不可能と思われていた二刀流にトライし、アメリカへ。野球の本場において他を圧する成績を収め、人格は高潔で頭が良く、容姿や態度も爽やか。大金を手にしても下品な使い方はせず、結婚相手も好感度が高いということで、非の打ちどころがないのです。

 が、その?非の打ちどころのなさ?が、私のような者をしんみりとさせます。影や淀んだ部分が見えないスーパーヒーローの活躍が毎日のようにトップニュースになっていると、自分の中の影や淀みが浮かび上がり、突きつけられるように思えるのです。

 大谷選手のニュースがあまりにもてはやされるのを見て、食傷気味になっている人は、私だけではありません。しかし、「もう大谷のことはいいよ」とか、「もっと他のアスリートのことも報道してほしい」などと言うことは、はばかられるのが今の時代。大谷選手についての報道が始まると、そっとテレビの前から立ち、家事など始めてみたりするのでした。

 考えてみると大谷選手は、日本人の前に現れた、久しぶりのスーパーヒーローです。北の湖の時代よりもっと昔は、「巨人、大鵬、卵焼き」と言われたということで、「みんな大好き」という存在がたくさんいたようです。しかし今、卵焼きの人気はキープされているものの他にもおいしいものはたくさんあり、巨人戦を地上波で見る機会は少なくなり、カリスマ的人気を誇る横綱も不在となりました。

老若男女が夢中
好みが多様化する中で、久しぶりにみんなが大好きになることができたのが、大谷選手でした。壮年男性たちが大谷の活躍ぶりに毎日一喜一憂し、ドジャースが負けるとその日はずっと不機嫌になるという人もいる一方で、小学生の女の子が青地に白の「LA」マークがついたドジャースのキャップをかぶって登校している姿も、見ることができるのです。

 老若男女が一つのものに夢中になるという感覚は、今の日本人にとって新鮮です。「みんな大好き」状態への免疫がないからこそ、大谷翔平という瑕疵のないアスリートに夢中になる快感は、日本人をうっとりさせ続けているのでしょう。

 大谷選手にうっとりできない私のような者は今、毎日のように孤独感を覚えています。そんな私は実は、子供の頃から卵焼きがあまり好きではなく、もちろん巨人ファンでもありませんでした。

 ですから大鵬の時代に生まれていたとしても、「巨人、大鵬、卵焼き」のどれ一つとして好きになることができず、今とは比べものにならないほどの孤独感、疎外感を覚えていたはず。そう考えると、「まだ今の時代に生まれて良かったのかも」と思うのでした。

★さかい・じゅんこ 1966年、東京都生まれ。立教大卒。軽妙なタッチで時代を切り取るエッセーで知られる。2004年「負け犬の遠吠え」で講談社エッセイ賞などを受賞。著書に「処女の道程」「鉄道無常」など。近著に「消費される階級」がある。

ヘブライ人への手紙12:1~2a
こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。
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