神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない
使徒言行録10:9~16
翌日、この三人(→使徒言行録10:7)が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり(→幻覚状態)、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。
その中には、(ユダヤ人が普段は食べないような)あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。
これは、ペトロが異邦人伝道に導かれるきっかけとなった出来事です。
偏狭な選民意識をもつユダヤ人は、自分たち以外の人々を異邦人として見下げて見る傾向がありました(これは私たちも気を付けなければならない)。そこで神はこの幻の出来事を通して、「神はすべての民を偏りなく愛しておられる」という神のみ心を示されたのです。汚れた物としてユダヤ人は普段食べないもの(→レビ記11章)を示されたペトロが困惑していたら、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」と神の声が聞こえたのです。こんなことが三度もありました。
この出来事を通してペトロは「神は人を偏見で見ることなく、神を敬う者はどの民(異邦人)でも受け入られるお方である、神のみ心を知ったのです。
追記
レビ記11章は、一般に「食物規定」と呼ばれますが、今回、新たに発刊された「聖書協会共同訳聖書」では、「新共同訳聖書」に比べて、表記内容がかなり変更されていますので、読み比べてみてください。
(余談)私は「ふくろう(梟)」を収集するのが趣味でした。もちろん、ふくろうは食べませんが、レビ記では食べてはいけないと記されています。