「祈りの人」ジョージ・ミューラー
ジョージ・ミュラー※1は、複数の孤児院を設立し、その経営を「祈りによって」なした「祈
新島襄に招聘されて同志社で講演をしたり、日本人初の救世軍士官(牧師)山室軍平などに大きな影響を与えました。
子供のころは、意外なことに非行少年、いわゆる悪ガキでした。そんな彼に転機が訪れました。1825年、友人に誘われて、キリスト教の集会に参加、回心しキリスト教の信仰を持ったのでした。
貧困家庭の子供たち、孤児たちが路頭にさまよっているのを見て、その面倒を見ようと決めました。孤児院の施設と孤児の数も増え、多いときには毎日約2千百人の孤児を食べさせなければなりませんでした。
孤児たちを養い食べさせていくために祈らなければならない日々が続き、ミュラーは絶え間ない祈りによって孤児院に必要なすべてのものを切に求めたと言われています。そして、彼の働きに共感し神に心動かされた人々の献げ物によって働きが続けられました。
こんな逸話が残っています。
「あるときは、子供達が起きて、朝食のために食卓に座っても、食べるもの飲むものが全くなかった。しかしジョージ・ミューラーは子供達と一緒に食前の祈りを捧げ、子供達を食卓に座らせた。そのとき、ドアをノックする音が聞こえ、焼きたてのパンとミルクが届いた。近くで行われる予定だったイベントがキャンセルになり、このままだったら廃棄しなければならないと考えていると孤児院が見えたので食べてもらおうと思ったとのこと・・・それはパン工場の労働者達のピクニック用のお弁当だった。大雨でピクニックが中止になったのである。」
周りの人や世俗に頼らず、ただ祈りによって「神のみに頼る」という信仰のスタイル(フェイス・ミッション)を生涯貫き、その祈りと信仰によって多くの孤児たちを救済したミュラーは、日本にも影響を与えており、孤児事業のパイオニアとなった石井十次の岡山孤児院のモデルとなりました。
※1:ジョージ・フレデリック・ミュラー(George Fredrick Müller、1805年~1898年)はプロシア(=プロイセン)生まれで、イギリスで活躍した孤児院経営者、宗教家、説教家。