摂理 Providence

人類の歴史や人生の出来事(諸事)は、すべて神の深い配慮(→摂理)によって、神の御旨(みむね、御心)を成し遂げるために起きている(神がすべてのことを完全に支配しておられる)。

神は、摂理による出来事を人々の人生の中に用意し、人々をみもと(ヨハネによる福音書17:5、8、11、13、テサロニケの信徒への手紙二2:1、ヘブライ人への手紙13:13)へと導かれる(強制はしない)。

神は、例えば、自然、人間の選択など(二次的原因)を通して、間接的に、御旨を達成される(神が直接働いて、御旨を達成される場合は、「奇跡」-自然な出来事に反して、超自然的出来事のこと-と呼ぶ)。
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く(万事が共に働いて益となる:聖書協会共同訳)ということを、わたしたちは知っています(ローマの信徒への手紙8:28)。

And we know that in all things God works for the good of those who love him, who have been called according to his purpose. (Romans 8:28 NEW INTERNATIONAL VERSION)

→新約聖書にある神の「御計画」(旧約では、士師記14:4のみ)

摂理については、キリスト教の宗教改革初期の指導者ジャン・カルヴァン(1509~1564年、フランスの神学者)がよく知られ、次のように述べている。

「神が創った世界(被創造物界)と人間は、神の意志(=御旨、御心)摂理(=御計画)によって導かれている。神が人間に自由意志を与え、人間は個別に判断することが可能になったものの、認識能力の不足や神の敵対者である悪魔サタンが作り出す様々な幻覚によって惑わされ、神がもともと人間のために定めておいた御計画を、人間は放棄してしまっている。」

ウィキペディア 摂理 (神学)を見ると、次のような記述がありました(抜粋)。
・「神の積極的な意志」(A Positive Will Of God):神が心から望み、願っておられること。
→これは、聖書に命じられていることや聖書の事例から推論することによって、知ることができる。
・「神の消極的な意志」(A Permissive Will Of God):災害や悪など、神が積極的に望まないで、人の罪(≒神の言葉にそむくこと)の故にやむを得ず、起こることを許容していること。
・神は全知全能であるので、その御旨(御心、Will)は、完全であり、常に、愛と善意とによって特徴づけられている(The Perfect Will Of God)。

※「摂理」という言葉は、聖書には登場しない。