ニエル書 The Book of Daniel

ユダヤ教・キリスト教の「預言」であり、「黙示思想」を含んでいるダニエル書(主人公である預言者ダニエル※1に由来)は、神の民に「希望」と「励まし」を与えるために書かれた旧約聖書正典(預言書)の一書である。

ダニエル書はシリア王アンティオコス・エピファネス4世(在位:BC175~163)※2の迫害に苦しむユダヤ人を激励するために書かれた。異邦の強大な権力と圧迫とはしょせん神の主権に服すべきものであり、最後の勝利は信仰を全うして真の神にのみより頼む民に与えられることを教えようとしたものである。

【内容】
(1)ダニエルとその3人の友人をめぐる物語(1~6章)
(2)ダニエルの体験した様々の幻(7~12章)

【成立】
ダニエルがバビロン捕囚中に書いたものであるとする説と、アンティオコス・エピファネス4世の迫害時(BC168~165)にダニエルの名を借りて書かれたものである、とする説があり、一般には、後者の説が認められている(キリスト教大事典改訂版 教文館)。

【価値】
実践的には真理の為に生きる者の覚悟と栄光を教えている。文学的には旧約末期の種々の黙示文学等に与えた影響は大きい。更に復活、終末的神の国の信仰や人の子概念など、新約聖書およびキリスト教思想史上に及ぼした貢献は少なくない(同)。

※1 ダニエル
▶「神はわが審判者」の意味。ヘブロンで生まれたダビデの第2子(歴代誌上3:1)、エズラ時代の祭司(エズラ記8:2、ネヘミヤ記10:1、7)。
→ヘブロンで生まれたダビデの息子は次のとおりである。長男はアムノン、母はイズレエル人アヒノアム。次男はダニエル、母はカルメル人アビガイル。(歴代誌上3:1)
→これらすべてを顧みて、わたしたちはここに誓約して、書き留め、わたしたちの高官、レビ人、祭司の捺印を添える。(ネヘミヤ記10:1)
ダニエル、ギネトン、バルク、(ネヘミヤ記10:7)
▶ユダ貴族の出身で、ヨヤキム王(在位:BC609~598)の第3年(ダニエル書1:1)の最初の捕囚のとき、バビロニアに移され、他の3人の友人(ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤ)とともに王宮に仕えた(ダニエル書1:5~6)。
▶異教の地にあって、終始母国イスラエルの回復を切願し、ユダヤ教の伝統を死守し、異教の権力と圧迫に対して果然と戦った。また、優れた才知と預言の能力をもって、様々の幻を見た。
▶エゼキエルは、義人として、ノア、ヨブとともに併記している(エゼキエル書14:13~14)。
→「人の子よ、もし、ある国がわたしに対して不信を重ね、罪を犯すなら、わたしは手をその上に伸ばし、パンをつるして蓄える棒を折り、その地に飢饉を送って、そこから人も家畜も絶ち滅ぼす。たとえ、その中に、かの三人の人物、ノア、ダニエル、ヨブがいたとしても、彼らはその正しさによって自分自身の命を救いうるだけだ、と主なる神は言われる。(エゼキエル書14:13~14)

※2 アンティオコス4世エピファネス
▶出生:BC215?、死去:BC163。BC2世紀のセレウコス朝シリアの王(在位:BC175~163)。
プトレマイオス朝(グレコ・マケドニア人を中核とした古代エジプトの王朝)を圧倒したことでユダヤを支配下に治めたが、やがてマカバイ戦争を引き起こすことになった。
▶アンティオコス3世の子としてセレウコス4世フィロパトルの弟として生まれたアンティオコス4世はもともとミトラダテスという名前であったが、即位後(あるいは兄アンティオコスの死後)アンティオコス4世という名前を持ったとされる。アンティオコス4世はセレウコス4世の死後権力の座についた。
▶父アンティオコス3世がBC188年にローマに敗れ、彼は人質としてローマに送られ、BC176年兄セレウコス4世が人質をその子デメトリオス(後の1世)に代え、解放後はアテネに滞在した。これが彼をギリシア・ローマ文化の心酔者にしたが、シリア王となった彼はこの文化を自国ばかりかユダヤにも導入し、ヘレニズム化を推進した。
▶年には、彼はユダヤ人に対して徹底した宗教弾圧を開始した。彼はユダヤにギリシアの神の像を建て、ユダヤの伝統的な宗教行事を禁止し、従わない者たちを処刑した。これはイスラエル・ユダヤ民族がそれまでの歴史で体験した最大の宗教迫害だった。
▶こうした中でハスモン家に属するマタティアが、その一族とともに荒野に逃れて徹底抗戦を開始した。これがマカバイの乱で、やがてユダヤの独立へと向かうのである。

▶アンティオコス4世の時代の事跡で特筆すべきことはエジプトの王朝、プトレマイオス朝との戦いに勝利を収めたことである。この勝利により、アンティオコス4世はエジプト征服の寸前までいったが、中東の軍事バランスが崩れることを危惧したローマ軍の介入と、ユダヤでおきた反乱(マカバイ戦争:BC167年に勃発したセレウコス朝に対するユダヤ人の反乱とそれに続く戦争)のため、断念せざるを得なかった。
▶アンティオコスはユダヤに対して圧政を持って臨み、エルサレムを破壊し、多くの敵対者を処刑した。これに対してユダヤ人たちはユダ・マカバイの一族であるハスモン家をリーダーとして立ち上がり、アンティオコスの派遣した軍を撃破するなど各地で奮闘した。アンティオコスは怒りにかられて自らユダヤ侵攻軍を率いたが、道半ばにして急死した。BC163年のことであった。

ダニエル書(概要)

こう祈った。「神の御名をたたえよ、世々とこしえに。知恵と力は神のもの。
(ダニエル書2章20節)